鑑真和上坐像がパトカーの先導(dǎo)で里帰り、僧侶や地元民の盛大な歓迎受ける―江蘇省揚(yáng)州市

Record China    2010年11月26日(金) 13時(shí)32分

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24日、日本の東大寺の鑑真和上坐像が和上の故郷?江蘇省揚(yáng)州市に里帰りした。揚(yáng)州大明寺の僧侶や地元民の大歓迎を受けた坐像は、12月7日まで鑑真図書館で展示される予定。

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2010年11月24日、日本の東大寺の鑑真和上坐像が和上の故郷?江蘇省揚(yáng)州市に里帰りした。揚(yáng)州大明寺が仏教上の最高儀禮で坐像を出迎え、沿道は歓迎の揚(yáng)州市民で埋めつくされた。25日付で中國新聞社が伝えた。

その他の寫真

現(xiàn)地時(shí)間の午後2時(shí)30分頃、鑑真和上坐像を乗せたパレード用車両「鑑真花車」が警察車両の先導(dǎo)で揚(yáng)州市內(nèi)入り。王燕文(ワン?イエンウエン)揚(yáng)州市委書記らのテープカットで開通した「鑑真路(鑑真通り)」を通り、鑑真図書館に向かった。鑑真和上坐像は同図書館にて11月26日から12月7日まで展示公開される予定。

「鑑真花車」は全長10m、高さ4.5m、幅2.5mの巨大なもの。鑑真和上が日本に渡った時(shí)の船をかたどったもので、船頭に設(shè)置された大きな蓮臺(tái)に和上の坐像が置かれている。その周囲には青い袈裟をまとった揚(yáng)州大明寺の僧侶8人が立ち、御仏と観音菩薩をたたえる経文を唱え続けた。

東大寺の鑑真和上坐像は江戸時(shí)代の享保18年(1733年)に作られ、267年の歴史を有する。鑑真和上は中日友好の使者であり、中國と日本の文化を結(jié)ぶ歴史上の不朽の人物。揚(yáng)州市では鑑真和上の獻(xiàn)身、不屈、開拓、無私の精神を広め、中日両國民の友好交流を促進(jìn)するためのさまざまなイベントを開催する。(翻訳?編集/本郷)

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