Record China 2010年11月30日(火) 20時(shí)20分
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27日、在日中國人ジャーナリストの莫邦富(モー?バンフ)氏は「中日両國は政治の地震多発期に突入した」と題した記事を中國のブログサイトに発表した。寫真は07年7月、日中國交正?;?5周年を記念して來日する前に河南省登封の少林寺で開かれた出発式。
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2010年11月27日、在日中國人ジャーナリストの莫邦富(モー?バンフ)氏は「中日両國は政治の地震多発期に突入した」と題した記事を中國のブログサイトに発表した。以下はその概略。
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尖閣諸島沖での衝突事件をめぐり、日中関係は激震に見舞われ、中國の民衆(zhòng)だけでなく、今回の事件を引き起こした側(cè)である日本でも多くの人が「あれほど順調(diào)だった両國関係がなぜ」という思いに駆られた。だが、筆者は以前から、今回の事件が起きなくても何か別の取るに足らないことで両國は激しく衝突するのではないかと思っていた。なぜなら、両國は政治の地震多発期に入ったからである。
1972年の國交正常化から両國は4つの段階を経てきた、と筆者は考える。まず第1段階は1972?1978年。中國はこの時(shí)期、前半は文化大革命、後半はその後の後始末に追われていたため、日本と真の意味での交流をしていたとは言えなかった。
次に1978?1989年の第2段階。中國が日本を師と仰ぎ、日本を通じて西側(cè)世界を見ていた時(shí)代だ。第3段階の1990?2001年は、関係が急速に発展。中國で改革開放政策が始まり、日本が最初に大規(guī)模な投資を行った。たくさんの日系企業(yè)が中國に工場を作り、両國の交流は様々な領(lǐng)域に広がっていった。
2001?2010年は第4段階。中國経済は急速に成長し、日本は「失われた10年」後のさらに無意味な10年を過ごす。両國の経済協(xié)力はさらに深化し、広範(fàn)囲に及んだ。だが、政治的な衝突はかえって激化し、2005年には當(dāng)時(shí)の小泉純一郎首相の靖國參拝問題、そしてつい先日は尖閣問題が勃発。アジアは「2強(qiáng)時(shí)代」に突入した。
そして、2011?2020年の10年は、中國と米國の「G2時(shí)代」となる。日本はこの事実を積極的に受け入れたくないようだが、実はすでに尖閣問題で「G2時(shí)代」を事実上認(rèn)めた行動(dòng)に出ているのだ。日本は自力では中國に対抗できないため、米國の力を必要とした。もし、米國が何の反応も示さなかったら、日本はおとなしくなっていただろう。
では、中國が今後、強(qiáng)固な米中関係を構(gòu)築したとしたら?そうなれば、日中関係は安定期に入るだろう?!窯2時(shí)代」には新たなルールを取り決める必要がありそうだ。(翻訳?編集/NN)
●莫邦富(モー?バンフ)
作家?ジャーナリスト。1953年、中國?上海生まれ。85年に來日?!感氯A僑」や「蛇頭(スネークヘッド)」といった新語を日本に定著させたことでも知られる。著書に「蛇頭」「日中はなぜわかり合えないのか」「これは私が愛した日本なのか」など。
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