Record China 2011年1月11日(火) 21時(shí)25分
拡大
9日、日本に留學(xué)経験のある中國の作家?陳希我氏は「日本人の秩序」と題した記事をブログサイトに発表した。寫真は石川県金沢市。
(1 / 4 枚)
2011年1月9日、日本に留學(xué)経験のある中國の作家?陳希我(チェン?シーウォー)氏は「日本人の秩序」と題した記事をブログサイト?新浪博客に発表した。以下はその內(nèi)容。
【その他の寫真】
日本人は秩序を重んじる民族だ。知り合いが伊豆から東京に帰る途中、100km以上の渋滯に巻き込まれた時(shí)のこと。こちらの車線は長い車列が連なっているが、反対車線はガラガラだった。中國人ならここで當(dāng)然のように反対車線を逆走すれば早いと考えるが、日本人は誰もそんなことはしない。さらに驚くべきことは、1人の警官も見當(dāng)たらなかったこと。誰もが秩序正しくノロノロ運(yùn)転を繰り返していたという。
日本人のようにどんな時(shí)でも自主的に秩序を守る民族も珍しい。だが、秩序にこだわりすぎて自由がないと外國人から揶揄されることも多い。自由がないところに創(chuàng)造は生まれないというが、なぜ日本では多くの驚くべき発想が生まれているのだろう。実はそれらは一部の精鋭が生み出したに過ぎない。そして、國民の大半を占める愚直な民衆(zhòng)がそれに黙々と従っているのである。
一方、中國人はみな自分が1番賢いと思っている。誰かに黙って従うなどもってのほか。ここが両者の「國民性」の大きな違いだろう。國民性といえば、日本に長く住んでいると、日本人は慎重すぎるくらい慎重で禮儀正しいことがよくわかる。戦時(shí)中の日本兵と同じ民族とはとても思えない。それは貓と虎ほどの違いがある。戦爭(zhēng)が人を野獣に変えてしまったのか?
実は日本には「赤信號(hào)みんなで渡れば怖くない」という言葉がある。それは悪いことでも大人數(shù)でやってしまえば誰にもとがめられないというもの。日本人にとって秩序を守るのは「共通認(rèn)識(shí)」だが、それはイコール「公衆(zhòng)道徳」なのか?答えはノーだ。例えば、日本では公共の場(chǎng)でタンを吐く行為は「公衆(zhòng)道徳」に反しているが、同じように「公衆(zhòng)道徳」に反していると思われる小便をする行為は構(gòu)わないという「共通認(rèn)識(shí)」がある。
戦爭(zhēng)の時(shí)もそうだ。「人を殺す行為」はいけないことだが、當(dāng)時(shí)の日本人の中には「やっても構(gòu)わない」という「共通認(rèn)識(shí)」があった。ここが秩序を厳格に守る日本人の恐ろしさだ。みながやることは自分もやらなければならない。當(dāng)時(shí)、どんなに臆病な人間も平気で人を殺し、殘忍な行為を行うことができたのは、こういうことだったのである。(翻訳?編集/NN)
●陳希我(チェン?シーウォー)
1960年代生まれ。1990年代に日本に留學(xué)経験あり。教員や編集者、さらにはカジノや埠頭での仕事も経験した。帰國後は作家、コラムニストとして活躍している。比較文學(xué)?世界文學(xué)の博士課程に身を置きながら、雑誌の編集者を務(wù)めている。
この記事のコメントを見る
Record China
2010/4/17
2010/11/7
2011/1/11
2010/4/15
ピックアップ
we`re
RecordChina
お問い合わせ
Record China?記事へのご意見?お問い合わせはこちら
業(yè)務(wù)提攜
Record Chinaへの業(yè)務(wù)提攜に関するお問い合わせはこちら
この記事のコメントを見る