Record China 2011年2月21日(月) 21時24分
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18日、臺頭期の中國にはまだ世界を正視する國際観がないと指摘、今日と將來の中國に必要なのは世界を正視した上で、正確に自國の立ち位置を定めることによる自信と寛容だ、とシンガポール華字紙が論じた。寫真は上海市の風景。
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2011年2月18日、シンガポール華字紙?聯(lián)合早報は、臺頭期の中國にはまだ世界を正視する國際観がないと指摘、今日と將來の中國に必要なのは世界を正視した上で、正確に自國の立ち位置を定めることによる自信と寛容だ、と論じた。以下はその概要。19日付で中國新聞網(wǎng)が伝えた。
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中國人の國際観の変遷は次の3つの段階に分けられる。漢唐時代の最盛期における國際観、清朝末期の衰退から21世紀初頭の臺頭までの國際観、そして臺頭以後の國際観だ。漢唐時代、中國は雄大な大國を誇り、四方からの朝貢を受け入れていた。この時代の中國は自信に満ちまた盲目だったが、「高貴さの下での愚かさ」の中で民衆(zhòng)はその思想を啓蒙されることはなかった。
清朝末期からの中國は、外部環(huán)境の変化による大きな心理的変化を経験した。この時代の中國人たちは、焦りという集団心理のなかにいた。科學技術(shù)の研究、政治の安定、歐米の模倣など、改革開放後の30年間に至るまで一心不亂に進めてきた。しかし、民衆(zhòng)の思想は依然啓蒙されることなく、「高貴さの下での愚かさ」という中國精神の本質(zhì)は変わらなかった。
ある作家が言った?!钢袊摔习兹摔摔瞎颏い蒲訾?、黒人には立ち上がって見下す」と。これは、中國人の精神世界が民族主義の問題と正面から向き合ってきたことがないことを辛辣、また端的に示す言葉だ。漢唐時代の繁栄に戻ろうとしている中國は、いまだに精神世界への啓蒙と洗禮を受けていない。ゆえに世界を正視する國際観もないし、自國の立ち位置がわからないから自信も寛容も生まれない。
何千年もの間できなかったことを一朝一夕で実現(xiàn)するなど不可能だが、そろそろこの命題に取り組んでもいい頃なのではないか。(翻訳?編集/津野尾)
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