<中國(guó)人が見(jiàn)た日本>震災(zāi)で男を上げた菅首相、地に落ちた前原氏

Record China    2011年3月14日(月) 20時(shí)35分

拡大

12日、ITエンジニアにしてジャーナリストの薩蘇氏は、「地震後の日本の政界に関する隨筆」と題した記事を中國(guó)のブログサイトに掲載した。寫(xiě)真は13日、北京の首都國(guó)際空港から日本に向けて出発する中國(guó)の救援隊(duì)。

(1 / 4 枚)

2011年3月12日、ITエンジニアにしてジャーナリストの薩蘇(サー?スー)氏は、「地震後の日本の政界に関する隨筆」と題した記事を中國(guó)のブログサイトに掲載した。以下はその內(nèi)容。

その他の寫(xiě)真

日本で大地震が起きたことをテレビで知った。死者は1000人を軽く超えるとみられている。日本の建物は耐震基準(zhǔn)が異常なほど厳しく、ほぼすべての國(guó)民が防災(zāi)教育を叩き込まれているにも関わらず、これほどの被害が出るとは。大自然の力を前に人の無(wú)力さを改めて思い知らされる。幸い、在日中國(guó)人の死亡の知らせは屆いていない。

地震発生時(shí)、日本の政治家の中で一番感心したのは菅直人首相だ。その時(shí)の様子をテレビで見(jiàn)ていた友人はこう言っている?!袱沥绀Δ蓢?guó)會(huì)中継中だった。菅首相は天井を仰ぎながら、揺れが収まるまでそのまま靜かに椅子に座っていた」。こういう時(shí)、普通の人だったら慌てて外に飛び出すか、機(jī)の下などにもぐり込むだろう。

だが、想像してみてほしい。首相が慌てふためいて機(jī)の下にもぐる姿を。それを見(jiàn)た國(guó)民はどう思うだろうか?支持率が低迷を続ける中、そんな姿をさらしたとあっては、それ以上首相の椅子に座り続けることは困難かと思われる。だが、菅首相は素晴らしかった。彼の堂々たる落ち著きぶりに筆者は100點(diǎn)満點(diǎn)を差し上げたい。

もしくは、どうせ首相の座もそう長(zhǎng)くはないと腹をくくっていたのかもしれない。當(dāng)日の朝も違法獻(xiàn)金問(wèn)題で厳しい追及を受けたばかりだった。そのため、震災(zāi)後報(bào)じられた「與野黨が一時(shí)的な政治休戦」「與野黨が予算案の早期成立などで合意」といったニュースにほっと胸をなでおろしたに違いない。

もし、震災(zāi)で大勢(shì)の方が亡くなっていなければ、首相は祝杯でも挙げたい気分だろう。だが、ここにもう1人、酒でも飲みたい気分であろう人物がいる。外相を辭任したばかりの前原誠(chéng)司氏だ。もっともこちらはやけ酒だろうが。當(dāng)初、前原氏の辭任で菅政権はもはやこれまで、という見(jiàn)方が大勢(shì)を占めていた。だが、その3日後にまさかの大震災(zāi)である。

激しい対立を展開(kāi)してきた與野黨も一転、それどころではなくなった。菅政権はよほどのことがない限り、あと1?2年は安泰だろう。それに比べ、上手く逃げたつもりだった前原氏は民主黨內(nèi)で「責(zé)任放棄」の汚名が定著してしまった。今の前原氏はやけ酒どころか、ちゃぶ臺(tái)をひっくり返したい気分でいるに違いない。

●薩蘇(サー?スー)

日本の華字紙?日本新華僑報(bào)副編集長(zhǎng)。北京出身。北京師範(fàn)大學(xué)卒。ゼネラルモーターズ、AT&T、ノキア勤務(wù)などを経た後、米系IT企業(yè)のプロジェクトマネージャーを務(wù)めた。05年より中國(guó)大手ポータル?新浪(SINA)で、ブログ「薩蘇的BLOG」を展開(kāi)。日中の違いなどについてつづったこのブログは、09年10月時(shí)點(diǎn)で7600萬(wàn)アクセスを記録。08年度には「新浪10大草の根ブログ」に選出されている。著書(shū)(中國(guó)で出版)も多數(shù)。

※本記事は筆者の承諾を得て掲載したものです。

この記事のコメントを見(jiàn)る

ピックアップ



   

we`re

RecordChina

お問(wèn)い合わせ

Record China?記事へのご意見(jiàn)?お問(wèn)い合わせはこちら

お問(wèn)い合わせ

業(yè)務(wù)提攜

Record Chinaへの業(yè)務(wù)提攜に関するお問(wèn)い合わせはこちら

業(yè)務(wù)提攜