大國意識(shí)を捨てよ、日本に學(xué)ぼう―中國メディア

Record China    2011年3月26日(土) 12時(shí)38分

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24日、北京青年報(bào)は中國國務(wù)院発展研究センターの編集者による寄稿文を掲載した。かつて日本の総理大臣を務(wù)めた吉田茂氏の著書を読んだ感想から、「謙虛な姿勢(shì)で日本に學(xué)ぼう」としている。寫真は日本の新幹線。

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2011年3月24日、中國紙?北京青年報(bào)は中國國務(wù)院発展研究センターの編集者?衛(wèi)建民(ウェイ?ジエンミン)氏の寄稿文を掲載した。かつて日本の総理大臣を務(wù)めた吉田茂氏の著書を読んだ感想から、「謙虛な姿勢(shì)で日本に學(xué)ぼう」としている。

その他の寫真

日本の首相を5期務(wù)めた吉田茂の著書「激動(dòng)の百年史 わが決斷と奇跡の転換」は、中國で改革開放政策が開始するとほぼ同時(shí)、1980年に翻訳版が出版された。當(dāng)時(shí)、共産黨上層部から知識(shí)層の若者までがこれをこぞって読み漁ったのは、みな「日本が奇跡の発展を遂げた秘密」を知りたかった故だ。中國でこの本は、4年間に16萬部を刷ったと言われている。

吉田茂が1946年、初めて內(nèi)閣総理大臣に就任した當(dāng)時(shí)、日本は戦後の焼け野原だった。復(fù)興にあたり、いったいどこから手を付けたらよいのかというありさまだったが、吉田はまず國民の教育を充実させることから始めた。米國の教育制度を參考に、人権を尊重し、平等な教育機(jī)會(huì)を國民に與えることを原則とし、さっそく9年間の義務(wù)教育制度を敷いた。教育こそ復(fù)興に欠かせないものであり、それが唯一、次世代に殘すことができる財(cái)産と考えたからである。

ここで、中國の教育について考えてみる。GDP(國內(nèi)総生産)では日本を超えたが、大膽に言ってしまえば、義務(wù)教育の普及に関しては、中國は日本より40年は遅れている。経済成長(zhǎng)も社會(huì)の発展も、優(yōu)れた人材なくしては成り立たないのに、その人材はどこで確保したらよいのか?

閉ざされた狹い國土、資源に乏しい國土の日本が、いかにして歐米に學(xué)び、政治制度を成熟させて世界の強(qiáng)國になったのか?國民の教養(yǎng)、職業(yè)意識(shí)、勤労精神、そして科學(xué)技術(shù)や産業(yè)の発展は、戦後の教育なくしてはあり得ないものだったのだ。なおかつ、自國の伝統(tǒng)を守りながら近代化を成し遂げた點(diǎn)は、日本固有の成果と言わざるを得ない。

1978年、まさに中國で改革開放政策の指揮をとらんとしていたトウ小平氏が訪日し、日本の奇跡の発展に目を見張った。7日間の訪日日程で新幹線に乗車したトウ氏の姿をテレビで見た時(shí)の印象は今でも忘れられない。車窓の外で飛ぶように流れる景色を見て彼は言った、「あれは何ですか?」?!袱ⅳ欷限r(nóng)村ですよ」―それを聞いたトウ氏はしばし黙り込み、考え込んでいた。乗車後の感想を問われると、「とにかく速い。まるで後ろから追われているかのようだ。これこそ我々が今、乗るべき車なのだ」。その年の12月、中國の改革開放政策が起動(dòng)。30年後、中國は世界第二の経済大國となった。

學(xué)びに優(yōu)れた日本人の精神。我々は今一度、大國意識(shí)を捨て、謙虛に日本に學(xué)ぶべきである。歴史や伝統(tǒng)で多くの共通點(diǎn)を持った我々にとって、そのコストはかなり軽いはずである。(翻訳?編集/愛玉)

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