<コラム>「韓國(guó)と北朝鮮、どっちが好き?」中國(guó)の朝鮮レストランで質(zhì)問したら…

如月隼人    2018年1月24日(水) 17時(shí)50分

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私の中國(guó)滯在は1980年代後半から90年代にかけてでした。暮らしていた北京には、東北三省から來(lái)た朝鮮族の人が営業(yè)している「朝鮮餐庁」が多くありました。寫真は北京市。

私が中國(guó)に留學(xué)していたのは1980年代後半から90年代に入ってからしばらくの間。その後もしばしば中國(guó)を訪れていたのですが、いろいろなことがどんどん変化しました。そのおかげで、ずいぶん面白いこと、奇妙なことも経験しました。雑談じみたことが多く、私個(gè)人の記憶にたよることになるのですが、いくつか書き殘しておくことにしましょう。

私が住んでいた北京には「朝鮮餐庁(チャオシエン?ツァンティン)」などと呼ばれる飲食店が多くありました。主に朝鮮族と呼ばれる人の経営する店です?!赋r」の名がついていても、出身地は吉林省?遼寧省?黒龍江省など。中國(guó)では少數(shù)民族の一つとされています?!赋r餐庁」の看板を掲げて中華料理も出す店が多かったです。私の行きつけの1軒は西城區(qū)新文化街という場(chǎng)所にありました。

先祖代々北京に住んでいる人ではなく、改革開放の開始にともなう規(guī)制緩和で遼寧省からやってきた一家が経営していました。一家は1995年ごろまでには故郷に戻っていったはずです。

話は変わります。中韓関係のことです。両國(guó)が國(guó)交関係を樹立したのは1992年8月でした。それまで中國(guó)は韓國(guó)を國(guó)として承認(rèn)していませんでした。だから、報(bào)道などでも「韓國(guó)」という國(guó)名は使わず「南朝鮮(ナンチャオシエン)」と呼んでいました。

そこでちょっとした問題が生じるのが、國(guó)外で開催されたスポーツの國(guó)際大會(huì)における試合が放送される場(chǎng)合。中國(guó)のテレビ局は、外國(guó)の局が撮影した映像を使うわけです。畫面の下の方に表示される得點(diǎn)の數(shù)字の橫には、対戦している選手やチームの所屬國(guó)が、國(guó)旗で表示されています。

中韓國(guó)交樹立の前、韓國(guó)國(guó)旗の上にはわざと関係のない文字が重ねられていました。映像は外國(guó)から購(gòu)入したものですが、実況中継や解説の音聲は中國(guó)人のものです。韓國(guó)のことは「南朝鮮」と言っていました。

中韓國(guó)交成立直後に、先ほどご紹介した「朝鮮餐庁」に行きました。店にはテレビがありました。當(dāng)時(shí)はまだ多かった白黒テレビです。たまたまバレーボールの試合をやっていました。國(guó)際試合で、片一方は韓國(guó)のチームでした。韓國(guó)國(guó)旗のマークはそれまでのように消されてはおらず、きちんと示され、音聲でも「韓國(guó)(ハングオ)」の國(guó)名を使っていました。

その店は、やや年配の夫婦と旦那さんの弟、それから息子と娘なんかがやっていました。それからおばあちゃんもいました。おばあちゃんは店の簡(jiǎn)単な手伝いをするぐらいで、それほど仕事をしていませんでした。故郷に1人だけ置いておくのは心配なので連れてきたのかもしれない。

朝鮮族の人が韓國(guó)との國(guó)交樹立をどう思っているのか知りたくて、おばあちゃんに聲をかけました。「韓國(guó)は好きですか?」と聞いてみましたが、おばあちゃん、どうもピンとこないようだ。私が使ったのは中國(guó)語(yǔ)。おばあちゃんは、中國(guó)語(yǔ)がそれほど得意ではない。私の発音が悪いのか、おばあちゃんの聞き取り能力に問題があるのか…。

そこで、こう説明しました?!疙n國(guó)ですよ。中國(guó)と國(guó)交を結(jié)んだ、朝鮮半島の南側(cè)にある國(guó)」と言ってみた。すると、おばあちゃんが驚きの形相を見せ「え?。砍r半島にまた國(guó)ができたのかい?。 工冉肖婴蓼筏?。

大聲を聞きつけた店の主人、つまりおばあちゃんの息子がやってきました。さすがに分かっていたようで朝鮮語(yǔ)で説明しました?!疙n國(guó)は南朝鮮のこと」なんて言っているみたいだ。そのうちに、私の注文した料理も運(yùn)ばれてきました。晝食の時(shí)間帯が完全に終わった午後だったので、他に客はいない。こういう場(chǎng)合、この店では家族全員が私のテーブルに集まってきます。日本人との話に興味深々といった雰囲気でした。

私としても、いろいろと話ができるので大歓迎です。とても打ち解けたファミリーな雰囲気であることも気に入っていました(もっとも、だから値段を負(fù)けてあげようとは絶対にならないのですが)。

さて、その日は韓國(guó)が話題になったので、「あなたたちは、韓國(guó)と北朝鮮と、どちらが好きですか」とたずねてみた。口に出してから「しまった。ちょっとデリケートすぎる質(zhì)問だったかな」と思いましたが、案ずることはありませんでした。店の主人はただちに「そりゃあ韓國(guó)だよ」と言いました。即答です。すると、他の家族も「南だ」と言い出した。例のおばあちゃんも。ひとりだけ異を唱えたのが、ご主人の奧さん。「私は朝鮮(北朝鮮)が好き」と言いました。

むしろ、他の家族が驚いた?!袱嗓Δ筏??」と尋ねます。すると奧さんは「だって、私の家系は北朝鮮からやってきたから。今でも親類は多いし」と言い出しました。他の家族も「あ、そうか。そうだった」と納得しました。奧さんのご一族がどういう経緯で中國(guó)にやってきたのは、それこそデリケートな問題だろうから、聞けなかったなあ。

奧さん以外の人が韓國(guó)に親近感を持っていた理由はとてもシンプル?!竾?guó)民を豊かにする政府がよい政府。そういう國(guó)がよい國(guó)」ということでした。1988年のソウル五輪などで、中國(guó)でも韓國(guó)の経済成長(zhǎng)のことはよく知られていましたからね。私は改革開放政策により1990年代も早い時(shí)點(diǎn)、トウ小平の南巡講話以前に「豊かになることはよいことだ。豊かにならねばならない」という意識(shí)が庶民の間にしっかりと根づいていたことを、再確認(rèn)できたのでした。

■筆者プロフィール:如月隼人

日本では數(shù)學(xué)とその他の科學(xué)分野を勉強(qiáng)したが、何を考えたか北京に留學(xué)して民族音楽理論を?qū)煿ァH毡兢藨盲皮椁鲜长伽毪郡幛司幖浾撙蚣跇I(yè)とするようになり、ついのめりこむ?!钢袊?guó)の空気」を読者の皆様に感じていただきたいとの想いで、「爆発」、「それっ」などのシリーズ記事を執(zhí)筆。

■筆者プロフィール:如月隼人

1958年生まれ、東京出身。東京大學(xué)教養(yǎng)學(xué)部基礎(chǔ)科學(xué)科卒。日本では數(shù)學(xué)とその他の科學(xué)分野を勉強(qiáng)し、その後は北京に留學(xué)して民族音楽理論を?qū)煿?。日本に戻ってからは食べるために編集記者を稼業(yè)とするようになり、ついのめりこむ。毎日せっせとインターネットで記事を発表する。「中國(guó)の空気」を読者の皆様に感じていただきたいとの想いで、「爆発」、「それっ」などのシリーズ記事を執(zhí)筆。中國(guó)については嫌悪でも惑溺でもなく、「言いたいことを言っておくのが自分にとっても相手にとっても結(jié)局は得」が信條。硬軟取り混ぜて幅広く情報(bào)を発信。

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