Record China 2011年6月29日(水) 20時42分
拡大
28日、臺灣紙は「日本人の目から見た臺北故宮と北京故宮」と題した記事で、日本の新聞社の前臺北特派員から見た2つの故宮を紹介した。寫真は北京の故宮博物院。
(1 / 4 枚)
2011年6月28日、臺灣紙?聯(lián)合報は「日本人の目から見た臺北故宮と北京故宮」と題した記事で、日本の新聞社の前臺北特派員から見た2つの故宮を紹介した。シンガポール華字紙?聯(lián)合早報が伝えた。以下はその內(nèi)容。
【その他の寫真】
臺北故宮と北京故宮、2つの「故宮博物院」はその正統(tǒng)性をめぐり、激しく対立してきた。それが今、政治的な雰囲気の緩和により、家族のような付き合いを始めようとしている。両故宮の激動の歴史に興味を抱いた日本の記者、野嶋剛氏が「ふたつの故宮博物院」という本を書いた。同書では半世紀(jì)にわたる両故宮の移り変わりが丹念に描かれている。
野嶋氏は20年前の學(xué)生時代、臺北故宮を訪れ、強い関心を抱いた。貴重な文化財を數(shù)多く所蔵していながら、世界の有名な博物館と違い、參観者に解説を提供するといった見せるための展示はされていなかった。そればかりか、「中共が爆撃しようともこの玉座は吹き飛ばせない」「蔣介石は偉大、故宮の寶物を臺灣に持ってきた」などと強調(diào)されていた。同氏は當(dāng)時の臺北故宮を「まるで倉庫のようだった」と振り返る。
「故宮の歴史は中臺の近代史そのもの」と野嶋氏。瀋陽、北京、上海、湖南、四川、貴州など故宮の文化財に関係ある場所はすべて回った。米スタンフォード大學(xué)で蔣介石の日記も閲覧した。同氏は「臺北故宮の『質(zhì)』は北京故宮より良いかもしれないが、『量』では北京の方が勝っていると思う」と話している。(翻訳?編集/NN)
この記事のコメントを見る
Record China
2011/5/16
2011/5/13
2011/1/28
2010/8/20
ピックアップ
we`re
RecordChina
お問い合わせ
Record China?記事へのご意見?お問い合わせはこちら
業(yè)務(wù)提攜
Record Chinaへの業(yè)務(wù)提攜に関するお問い合わせはこちら
この記事のコメントを見る