Record China 2011年7月20日(水) 8時7分
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2011年6月末、中國本土出身者による臺灣の個人観光が解禁され、旅行を通じてより地元の生活に近しい部分まで觸れることができるようになった。臺灣を訪れた中國人の多くが、口々に臺灣を稱賛している。寫真は臺灣。
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「街がきれい」「公共マナーが守られている」「みんな品があって禮儀正しい」「エコロジー意識が高い」…臺灣を訪れた中國人の多くが、口々に臺灣を稱賛する。2011年6月末、中國本土出身者による臺灣の個人観光が解禁され、旅行を通じてより地元の生活に近しい部分まで觸れることができるようになった。その中で、臺灣のよき部分に觸れる機會も増えているようだ。米紙ウォール?ストリート?ジャーナル(電子版)に臺灣の著名評論家?張鉄志(ジャン?ティエジー)氏が7月15日付で寄稿した。
【その他の寫真】
中國本土が失ってしまった中國の伝統(tǒng)文化やモラルが、臺灣にはまだ殘っている―自らの目で臺灣を眺めた時、多くの中國人が臺灣を絶賛する。臺灣人である私にとっては、少しきまりが悪い時もある。もちろん臺灣社會にも悪しき問題があり、それぞれが不満や嫌悪感を抱えて生きているからだ。
ただし、確かに現(xiàn)在の臺灣は過去の臺灣とは違う。住民の素養(yǎng)の高さは、いったい何が育てたものだろう?経済的豊かさももちろんあるだろうが、この20年來進められてきた民主化の賜物であるだろうとも思う。
民主主義という制度が成立するためには、自然と個人個人の素養(yǎng)が試されるものなのだ。理性や溫和、他人を尊重すること…こうしたことが基礎(chǔ)となって、個々の価値観が重んじられ、個々の基本的権利が守られ、“人にやさしい”社會が実現(xiàn)する。臺灣では90年代半ばまで、「お役人が一般市民を見下ろす」ことが當然の社會だった。公的業(yè)務(wù)に従事する人々の目線が一般市民の高さまで下げられたとき、初めて「市民に奉仕する」社會が実現(xiàn)した。こうした他者への尊重というのは、官民の間だけで成り立つものではなく、一般市民と市民の間でもなされるべきことである。
公共のルールは「守らされるもの」でなく、「自ら望んで守るもの」。もしも不満や問題があれば、それを政府に訴えることができるルートが確立していること。そして、自ら軌道修正ができること。社會に関わるすべての人が聲を出す機會があるということが、民主主義社會の重んじるのどかさや緩やかさをつくる。そして確かに、多くの人が臺灣に対して「のんびりとしたところだ」との印象を抱いているようだ。
つまり、臺灣を訪れる中國人旅行客のみなさんに感じていただきたいのは、臺灣の人情のほかに民主主義の長所。理想の民主主義を完璧に築き上げているわけではないが、少なくともそれに向かって努力していることを感じていただきたい。(翻訳?編集/愛玉)
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