<中國(guó)人が見た日本>東大寺に多數(shù)殘された唐代の寶物、なのに我々中國(guó)には…

Record China    2011年8月13日(土) 18時(shí)8分

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12日、中國(guó)人ブロガーが奈良の東大寺に多數(shù)殘された唐代の美術(shù)工蕓品を見て、「中國(guó)には何も殘されていない」と嘆いている。寫真は東大寺。

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2011年8月12日、中國(guó)人ブロガーが奈良の東大寺に多數(shù)殘された唐代の美術(shù)工蕓品を見て、「中國(guó)には何も殘されていない」と嘆いている。中國(guó)のブログサイト?新浪博客に掲載された。以下はその內(nèi)容。

その他の寫真

奈良の東大寺に行くたび、その荘厳さに圧倒される。さすがは「世界最大の木造建築物」である。東大寺は全國(guó)68カ所に設(shè)けられた國(guó)分寺の総本山として建てられた。日本の仏教文化の中で最も高い地位にあり、1300年近くの歴史を誇る。

1180年、東大寺は焼失の憂き目に遭ったが、日本の高僧たちは中國(guó)?南宋の工人、陳和卿(ちん?わけい)に再建を依頼。3年後に完成した。その後、100年にわたり、東大寺は幾度も戦火に巻き込まれたが、その度に陳の再建方法を守ってきた。陳和卿は福建省の出身だと思われていたが、最近になり寧波の人だということが分かっている。

正倉(cāng)院はもともと天皇の私的な倉(cāng)庫(kù)だったが、聖武天皇が756年に崩御すると、皇后は天皇が使っていた品や美術(shù)工蕓品などをまとめてここに保管したそうだ。この時(shí)期の中國(guó)はちょうど唐?明皇の時(shí)代。かなり裕福な時(shí)代で、贈(zèng)り物も頻繁に配っていた。

そのため、今日の正倉(cāng)院には當(dāng)時(shí)の貴重な品が多數(shù)殘されている。一方、我々のばかでかい國(guó)には唐代から伝わる文化財(cái)など1點(diǎn)も殘されていない。何と嘆かわしいことか。(翻訳?編集/NN)

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