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28日、香港紙は、魯迅の作品「藤野先生」は原題を書き換えられたものだと報じた。日本人學(xué)者が10年にわたる研究を経て、原題は「吾師藤野先生」であると解明した。寫真は上海の魯迅記念館。
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2011年9月28日、香港紙?文匯報は中國の文豪?魯迅(ろ?じん)の隨筆「藤野先生」のタイトルが書き換えられていたと報じた。藤野(厳九郎)先生は、魯迅が日本に留學(xué)した際の仙臺醫(yī)學(xué)専門學(xué)校の恩師。
【その他の寫真】
魯迅の隨筆「藤野先生」のオリジナルタイトルは「吾が師、藤野先生」(吾師藤野先生)だった。これは、日本人學(xué)者?佐藤明久氏が約10年にわたる調(diào)査を経て謎を解明したもので、先日、上海魯迅記念館が主催した「魯迅と現(xiàn)代中國文化國際シンポジウム」にて、佐藤氏は初めて長年にわたる研究の過程を述べた。
事の始まりは2002年に佐藤氏が上海魯迅記念館を訪れた際に「藤野先生」の原稿(複製)を目にしたことによる。この原稿は赤い線が引かれた便せんに黒インクで書かれたものだったが、佐藤氏は原稿中のタイトルの部分が塗りつぶされ、「先生」の二文字だけが殘り、右側(cè)に「藤野」と書かれていたことに著目した。中國と日本の教科書に「藤野先生」が収録されている。佐藤氏は両國の教育関係者に問い合わせたが、皆、「藤野先生」が書き換えられた後の題名だとは知らなかった。また、朱正(ジュー?ジョン)著による「魯迅の手稿管見」によると、保管されている魯迅の作品の原稿中、「藤野先生」のタイトルだけが書き換えられているという。強(qiáng)い好奇心が佐藤氏を塗りつぶされた部分の研究へと駆り立てた。佐藤氏の研究の意思を知り、上海魯迅記念館の王錫栄(ワン?シーロン)館長は記念館が作成した「藤野先生」の複製原稿を贈った。
その後、佐藤氏は字の大きさや文字の間隔を細(xì)かく計測し、黒く塗りつぶされた部分の筆跡を調(diào)べた結(jié)果、青、我、老、尊、七、干、有などの字の可能性があると判斷した。その後、2008年9月26日、多くの中國人専門家の協(xié)力の下、佐藤氏は北京の中國國家図書館で原稿を見ることができた。二つ目の文字が「師」だとほぼ斷定できたため、一つ目の文字が「我」、「尊」、「老」、「吾」の四つのうちのどれかだと判斷できるが、肉眼で確認(rèn)することはできなかった。
2010年12月、佐藤氏は再び中國國家図書館を訪れた。その際、影像技術(shù)を用い、一文字目が「吾」だと判明した?!柑僖跋壬工卧}が「吾が師、藤野先生」であることが分かると、その場にいた人々は拍手で祝福した。
「藤野先生」の原題の謎は解明された。しかし、また、新しい疑問が出て來た。なぜ、その時、魯迅は題名を「藤野先生」に書き換えたのか?何か隠された特別な理由があるのだろうか?佐藤氏は「今後もこの問題を課題に研究を続ける」と述べている。(翻訳?編集/若林亜希)
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