Record China 2011年10月10日(月) 17時8分
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7日、重慶晩報は日本人の夫と中國人の妻の物語を紹介した。妻は交通事故で3年間も植物狀態(tài)になったが、夫の愛情と手助けにより奇跡的に意識を取り戻したという。資料寫真。
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2011年10月7日、重慶晩報は日本人の夫と中國人の妻の物語を紹介した。妻は交通事故で3年間も植物狀態(tài)になったが、夫の愛情と手助けにより奇跡的に意識を取り戻したという。
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日本企業(yè)で働くエンジニアの佐藤さん(仮名)。04年に重慶市の鉄道建設(shè)プロジェクトのため、重慶市に赴任した。中國が話せない佐藤さんを通訳としてサポートしたのが鄒琴(ゾウ?チン、仮名)さん。これが2人のなれそめだった。
愛情を深め結(jié)婚を誓った2人。悲劇は結(jié)婚式の1カ月前に起きた。06年9月、自転車を盜んで慌てて逃げていた男が自動車と衝突する事故が起きた。はねとばされた男はその場に居合わせた鄒さんにぶつかった。
手術(shù)を経てどうにか命を取り留めた鄒さん。しかし意識は戻らなかった。主治醫(yī)は「植物狀態(tài)は免れられません」と無情にも宣告した。その日から佐藤さんの妻を勵ます日々が始まった。休みのたびに重慶に出向き、忙しい時もCDに聲を吹き込んで送った。
眠ったままの娘を見舞う佐藤さんに、鄒さんの父親は「別の幸せを探してください」と言ったが、佐藤さんは「希望があるかぎり、あきらめません」と申し出を斷った。
転機(jī)が訪れたのは08年だった。幹細(xì)胞移植で植物狀態(tài)から回復(fù)させる新たな醫(yī)療技術(shù)があるという話を鄒さんの父親が聞いたのだ。佐藤さんもすぐに同意。09年3月に1回目の手術(shù)が行われた。そして6月、鄒さんの指がかすかに動いた。
知らせを聞いて日本から飛んできた佐藤さん、やさしく、しかし休むことなく妻の名前を呼び続けた。やがて鄒さんの指は動き始め、そして腕をあげ佐藤さんの顔を撫でた。佐藤さんは涙を流しながら、鄒さんと指をからませた。交際していた2年の間、いくどとなく繰り返してきた行為だった。鄒さんも泣き出した。懐かしい動きに彼女も夫がそばにいることを理解したのだった。
その後、鄒さんは2回目の手術(shù)を受け、回復(fù)が続いている。障害が殘る體は家族の支えがなければ自由に動かすことはできない。だが、彼女は再び夫と會話できるようになった。今、鄒さんは言う。夫の子どもを生みたいのだ、と。(翻訳?編集/KT)
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