Record China 2011年10月15日(土) 8時28分
拡大
12日、中國の歴史學(xué)者で作家の劉方[火韋」氏が「日本人はなぜ中國人の前を歩けるようになったのか」と題した記事を中國のブログサイトに掲載した。寫真は日本。
(1 / 4 枚)
2011年10月12日、中國の歴史學(xué)者で作家の劉方[火韋」(リウ?ファンウェイ)氏が「日本人はなぜ中國人の前を歩けるようになったのか」と題した記事を中國のブログサイト?鳳凰博報に掲載した。以下はその內(nèi)容。
【その他の寫真】
大陸?中國の「原生の文化」に対し、島國?日本は典型的な「二次的文化」の系統(tǒng)に屬する。日本人のルーツは大きく分けて「東南アジア?マレー系」「古ツングース」「中國大陸?北方系(朝鮮半島も含む)」「中國大陸?江蘇&浙江人(古呉國)」。マレー系以外はすべて中國大陸だ。古ツングース人も中國人の祖先。こうして見ると、日本の歴史や文化は中國文化の影響を受け、形成されたものだということが分かる。
2009年春、小泉內(nèi)閣で総理大臣補佐官を務(wù)めた岡本行夫氏と東京でお會いした。岡本氏は何のためらいもなく「歴史や文化の面から見て、日本人のDNAには中國の要素が含まれている」と語った。もともと「二次的文化」であるため、日本人は外來文化を熱心に學(xué)び、吸収するという伝統(tǒng)を持つ。昔はその対象が中國で、今は西側(cè)國家に変わっただけだ。
日本人は一生懸命に西洋に學(xué)んだ。文化や制度、科學(xué)技術(shù)だけでなく、ご丁寧に植民地を拡大するところまでそっくり真似た。だが、唯一、世界中の國が西側(cè)國家に奪い取られるという懸念も抱えていた。その時すでに自分たちをアジアの西側(cè)國家だと自負(fù)していた日本人は、まずアジア各國を自分たちの手中に収めようとした。
専門家たちは日本の明治維新と中國の洋務(wù)運動(清朝末期に起きた西洋技術(shù)導(dǎo)入運動)や戊戌の変法(清朝時代の政治改革運動)を比較し、「日本は成功、中國は失敗」と言う。日本は近代化(工業(yè)化)に成功したから中國の前を歩けるようになったと言うが、そうではないと思う。明治維新前の日本は中國の東周(紀(jì)元前700年前後)のようだった。名義上の皇帝はいるが、実際は將軍が政権を握り、藩主が國を治める。藩主の下に武士がいて、その下に平民がいる。
明治維新のスローガンは「尊王攘夷」。天皇を尊び、西歐列強を打ち払うというものだ。そして、「尊王」が達成されると、國家最高権力を手にした明治天皇は一連の「改革開放」政策を打ち出した。廃藩置県によって藩をなくし、武士階級も廃止。平民を武士階級の奴隷から解放したのだ。
一方、當(dāng)時の中國には平民を奴隷扱いしていた武士階級は存在しなかったし、平民にも自由と平等が與えられていた。そのため、當(dāng)時の中國のエリートたちは日本のように國民全員參加の改革をする必要性を感じていなかったのだ。明治維新は國民全員が參加して近代化を図ったが、中國の洋務(wù)運動と戊戌の変法はエリート層だけで行われたものだった。
こうしたことから、中國が「失敗」で日本が「成功」という言い方で19世紀(jì)後半の両國の近代化競爭を総括するのは適切ではない。複雑な歴史的要因により、中國が「人の解放」の面で國民全員參加の改革に著手したのは、新たな「奴隷時期」を経て、90年代に入ってからなのである。(翻訳?編集/NN)
この記事のコメントを見る
Record China
2011/4/4
2011/4/3
2011/2/6
2011/1/3
2010/11/3
ピックアップ
we`re
RecordChina
お問い合わせ
Record China?記事へのご意見?お問い合わせはこちら
業(yè)務(wù)提攜
Record Chinaへの業(yè)務(wù)提攜に関するお問い合わせはこちら
この記事のコメントを見る