中國と臺灣の歴史教科書にはどんな違いがある?―中國誌

Record China    2011年11月11日(金) 23時33分

拡大

11日、中國誌は中國と臺灣の歴史教科書の違いについて紹介した。寫真は05年、日中韓が共同編集した歴史教科書の中國語版。

(1 / 4 枚)

2011年11月11日、中國誌「看世界」は中國と臺灣の歴史教科書の違いについて紹介した。1949年の中臺分斷後、中國は舊ソ連と、臺灣は米國とそれぞれ親密な関係を築くことになるが、面白いことにその関係性は教科書にも色濃く反映されている。

その他の寫真

記事が比較の対象に用いたのは臺灣?國立編訳館(1996年版)と中國?人民教育出版(2003年版)の2冊の歴史教科書。その中に出てくる米國と舊ソ連の姿は両者で全く異なる。例えば、1899年に米國のヘイ國務長官が提唱した「門戸開放政策」。臺灣の教科書には「米國は再び各國に対し、我が國の領土と主権の保全を維持することを盛り込んだ通牒を送付。これにより、我が國は領土を分割されずに済んだ」と書かれている。

だが、中國の教科書は違う?!噶x和団の亂(1900年)が、帝國主義國家の面々に中國の分割は実に困難であることを知らしめた」とある。臺灣は「米國のおかげ」を強調しているが、こちらでは米國の功績など全く觸れられていない。そればかりか、中國の教科書にはわざわざ「帝國主義國家による中國分割の動き」という章が設けられ、帝國主義に対する恨みと憎しみに溢れた記述で埋め盡くされている。

「抗日戦爭」に関しては、臺灣版は「米國の各種支援(人や金、物資にいたるまで)が國民黨政府の勝利を助けた」とだけあり、舊ソ連が関東軍を壊滅させたという記述はどこにもない。それどころか、「『老毛子』(ロシア人に対する蔑稱)は中國で略奪、強姦、虐殺を繰り返した」とある。中國共産黨に関する記述も、國共合作の時期はまだ婉曲だが、國共內戦以降は「反亂分子」「チンピラ」「怪しげ」といった文字が堂々と躍るようになる。

1949年の中華人民共和國成立から現(xiàn)在までの歴史も、臺灣の教科書ではわずか320字分に凝縮。そこには「大きな鉄のカーテンの中に閉じ込められてしまったのと同じ。これにより、中國に貧困と落伍を招いた」と書かれている。(翻訳?編集/NN)

この記事のコメントを見る

ピックアップ



   

we`re

RecordChina

お問い合わせ

Record China?記事へのご意見?お問い合わせはこちら

お問い合わせ

業(yè)務提攜

Record Chinaへの業(yè)務提攜に関するお問い合わせはこちら

業(yè)務提攜