日本の大學(xué)生の訪中団、盧溝橋で歴史を?qū)Wぶ=「心が重くなった」「日本に帰って勉強(qiáng)し直したい」―中國(guó)メディア

人民網(wǎng)日本語版    2018年3月12日(月) 16時(shí)40分

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北京郊外の盧溝橋は10日、中國(guó)を訪れた日本の大學(xué)生を迎え入れた。

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北京郊外の盧溝橋は10日、中國(guó)を訪れた日本の大學(xué)生を迎え入れた。日本の北九州市立大學(xué)外國(guó)語學(xué)部中國(guó)學(xué)科の1年生の學(xué)生たちで、「五星奨遊學(xué)団」のメンバーでもある。20日あまりの訪問期間中、北京、天津、長(zhǎng)春、杭州上海など各都市を訪れ、新しい時(shí)代の中國(guó)を知り、感じる機(jī)會(huì)になるという。北京は3カ所目の滯在先だ。人民網(wǎng)が伝えた。

その他の寫真

盧溝橋は中國(guó)の全面的抗日戦爭(zhēng)の起點(diǎn)だが、日本の學(xué)生は知らない人が多い。同団の學(xué)生たちが盧溝橋でさまざまな姿の獅子の石像を見ていると、同団を組織した教員で中國(guó)語教育推進(jìn)會(huì)の葉言材幹事長(zhǎng)が學(xué)生たちに宿題を出した?!溉毡兢藥ⅳ盲郡?、1937年に日本軍が盧溝橋に駐屯していたのはなぜかを調(diào)べること。盧溝橋まで來たのだから、みなさんが盧溝橋と抗日戦爭(zhēng)の歴史を主體的に理解することを願(yuàn)う」。

盧溝橋を過ぎると宛平城がある。學(xué)生たちは宛平城の昔話を聞きながら、町並みの北京庶民の風(fēng)俗を眺めているうちに、いつのまにか中國(guó)人民抗日戦爭(zhēng)記念館の前に來ていた。記念館について簡(jiǎn)単な説明を聞いた學(xué)生たちから「中に入ろう」という聲が次々に上がり、入館することになった。學(xué)生たちは中に入ると白黒寫真の一枚一枚、説明の言葉の一言一言に見入り、1937年から1945年にかけての痛ましく暗黒だった戦爭(zhēng)の記憶に靜かに耳を傾けていた。學(xué)生の感想をみると、「こういう寫真は日本ではなかなか見ることができない」、「心が重くなった」、「命と平和を大切にしなければ」、「日本に帰ったら當(dāng)時(shí)の歴史をしっかり勉強(qiáng)し直したい」などがあった。

同団は北京滯在中に故宮博物院や萬里の長(zhǎng)城などの名所舊跡を見學(xué)し、老人ホームや學(xué)校などを表敬訪問し、現(xiàn)地のグルメを楽しみ、京劇を鑑賞し、歴史、現(xiàn)代、名所、人、文化を通じて北京の伝統(tǒng)と発展をより一層身近に感じることになる。(提供/人民網(wǎng)日本語版?編集KS)

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