<東日本大震災(zāi)>日本人に命を救われた中國(guó)人実習(xí)生が再來日=恩人のこと「よく思い出す」―宮城県女川町

Record China    2012年2月6日(月) 8時(shí)17分

拡大

3日、東日本大震災(zāi)で被災(zāi)し、帰國(guó)していた中國(guó)人研修生が再び來日した。実習(xí)先の佐藤充さんに命を救われた中國(guó)人実習(xí)生は「今でもよく佐藤さんのことを思い出します」と話している。寫真は2011年3月、東日本大震災(zāi)直後の宮城県多賀城市。

(1 / 8 枚)

2012年2月3日、東日本大震災(zāi)で被災(zāi)し、帰國(guó)していた中國(guó)人研修生が再び來日した。4日、中國(guó)新聞網(wǎng)が伝えた。

その他の寫真

今回、來日したのは宮城県女川町の水産加工工場(chǎng)で実習(xí)を受ける15人。その中には叢偉(ツォン?ウェイ)さんら被災(zāi)した5人も含まれる。被災(zāi)當(dāng)時(shí)、叢さんらは佐藤水産で実習(xí)を受けていたが、同社の佐藤充専務(wù)が自分の命を省みずに避難を誘導(dǎo)し難を逃れた。佐藤さんのエピソードは中國(guó)でも大きく報(bào)じられ、昨年5月に被災(zāi)地を訪れた溫家寶(ウェン?ジアバオ)首相も言及している。

震災(zāi)後帰國(guó)した佐藤水産実習(xí)生20人のうち、叢さんら5人が最初の再來日となる。叢さんは女川の人たちの狀況を知りたい、今でもよく佐藤さんのことを思い出しますと話している。震災(zāi)當(dāng)時(shí)、女川町では水産加工工場(chǎng)19社で約160人の中國(guó)人実習(xí)生がいた。これまでに20人が再來日している。(翻訳?編集/KT)

この記事のコメントを見る

ピックアップ



   

we`re

RecordChina

お問い合わせ

Record China?記事へのご意見?お問い合わせはこちら

お問い合わせ

業(yè)務(wù)提攜

Record Chinaへの業(yè)務(wù)提攜に関するお問い合わせはこちら

業(yè)務(wù)提攜