曹操の墓に盜掘された形跡、その理由は―中國(guó)メディア

Record China    2018年3月28日(水) 12時(shí)30分

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27日、中國(guó)の河南省安陽(yáng)市にある後漢末期の墓で、後漢末の武將?曹操の墓とされる「西高穴2號(hào)墓」について、同省文物考古學(xué)研究院はこのほど「複數(shù)回にわたって組織的に破壊、盜掘された形跡がある」と明らかにした。寫(xiě)真は河南省許昌市にある魏武帝広場(chǎng)の曹操像。

2018年3月27日、新京報(bào)によると、中國(guó)の河南省安陽(yáng)市にある後漢末期の墓で、後漢末の武將?曹操の墓とされている「西高穴2號(hào)墓」について、同省文物考古學(xué)研究院はこのほど「複數(shù)回にわたって組織的に破壊、盜掘された形跡がある」と明らかにした。

記事によると、最新の発掘調(diào)査は16年11月から17年5月に実施された。その結(jié)果、歴史書(shū)「三國(guó)志 魏書(shū) 武帝紀(jì)」に記載されている曹操の墓の特徴と異なり、墓には建造物があり、內(nèi)側(cè)は壁で、外側(cè)は堀で囲まれた伝統(tǒng)的建築様式だったことが分かったという。

一方、魏書(shū)に曹操の墓は「高地を基礎(chǔ)に利用し、土は盛らず木も植えない」と記され、曹操が簡(jiǎn)素な埋葬を望んでいたとされる。このため、これまで遺體は地下の墓所に埋葬され、地上に建築物はないと考えられてきた。

墓の現(xiàn)狀が「三國(guó)志」の記載と異なり、その後、破壊と盜掘が繰り返されたことについて、同研究院研究員の周立剛(ジョウ?リーガン)氏は「長(zhǎng)男の曹丕が関與した可能性がある」と指摘した。同氏は「曹丕は父の遺言通りに埋葬した場(chǎng)合、あまりに簡(jiǎn)素で見(jiàn)るに堪えないと考え、地上に建物をいったんは造った。しかし、その後、組織的に破壊することで、埋葬品を狙った盜掘を避けようとしたのではないか」と話しているという。(翻訳?編集/大宮)

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