木口 政樹 2018年5月2日(水) 20時(shí)0分
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4月27日午前9時(shí)半、板門店の南北境界線をまたいで南の文大統(tǒng)領(lǐng)と北の首領(lǐng)様(金正恩委員長)が歴史的な握手をかわした。寫真は南北首脳會(huì)談の関連報(bào)道。
4月27日午前9時(shí)半、板門店の南北境界線をまたいで南の文大統(tǒng)領(lǐng)と北の首領(lǐng)様(金正恩委員長)が歴史的な握手をかわした。
1代目の金日成のときも、2代目の金正日のときも南北首脳の出會(huì)いはあったが、今回のは、これまでのそれとはかなり趣きを異にしている。北が本気で核の放棄を模索していることがはっきりした。
午後、散歩しながらの2人だけの対話は、マイクも付き人もなく本當(dāng)の「ただの2人」だけの會(huì)談だっただけに、どんな話が30分もの間かわされたのか気になるところだ。今のところまだあのときの會(huì)談の內(nèi)容は明かされてはいない。
27日夕方の「板門店宣言」においては、2人の首脳はまず抱擁して宣言発表までこぎつけたことを祝いあった。晩餐會(huì)には金正恩氏の妻であるリ?ソルチュも合流し、ファーストレディとしての役割を十二分に果たした。
9月の文大統(tǒng)領(lǐng)の平壤(ピョンヤン)訪問が決まり、開城(ケソン)に合同連絡(luò)事務(wù)所を設(shè)置することも決まり、8月15日に離散家族の出會(huì)いの行事も合意に達(dá)した。3年前に樸槿恵(パク?クネ)前大統(tǒng)領(lǐng)の一聲で閉鎖になった開城の工業(yè)団地の再開も射程に入れられた狀況だ。非核化の具體的な內(nèi)容は盛り込まれなかった。ただし朝鮮半島における非核化という點(diǎn)では雙方合意に達(dá)していることを忘れてはいけない。具體的な內(nèi)容は、米朝首脳會(huì)談においてはじめて明確化されることだろう。
27日は、筆者の大學(xué)の授業(yè)も9時(shí)からあったのだが、出席をとったあとはネットでの首脳會(huì)談の放送をずっと見っぱなしだった。小學(xué)校の授業(yè)も韓國の大部分のところは午前中はずっとテレビ放送を見ていたようだ。それくらいの出來事であることはたしかだ。
去年の暮れまでは北の首領(lǐng)様は、なにかにつけて「南のソウルを火の海にしてやるぞ」と脅していた。あれから4カ月でこうも変わるのかと不思議な気持ちにもなってしまう。韓國內(nèi)の保守勢力は、「これは政治ショーに過ぎないから信じてはいけない」とやんや騒いでいるけれど、単なる政治ショーのレベルでないことだけはたしかだ。
1日経った28日の段階で、北の住民にも政府機(jī)関紙労働新聞が南での報(bào)道內(nèi)容とほぼ同一の內(nèi)容を伝えている。非核化ということばも登場している。北の住民にとっては、あれほどまで一生懸命「核作り」に余念のなかった首領(lǐng)様が、なんでいきなり非核化などと言い出すのか理解できないという向きもあろうかと思う。しかし誰あろうあの首領(lǐng)様のおことばだ。命よりも大事な人のおことばだ。聴いた瞬間腹の底まで信じたであろうことは疑いの余地もない。南と北の統(tǒng)一の絵までもうっすらと見えるような1日だった。
北の金正恩氏が、4月29日、さらに新たな発表をした。豊渓里(プンゲリ)の核施設(shè)を5月中に閉鎖するということ、および平壤(ピョンヤン)時(shí)間を南の時(shí)間に合わせるということ。
核施設(shè)の閉鎖は韓國と米國の専門家および監(jiān)視団を招いて直接見てもらうと言っている。また時(shí)間については、2015年ごろに北朝鮮が突然、それまで使っていた韓國と同じ時(shí)間(それは日本の標(biāo)準(zhǔn)時(shí)である)を30分遅らせた「北朝鮮時(shí)間」を使うと一方的に発表した。それ以來、北の時(shí)間は南の時(shí)間より30分遅れた時(shí)間となっていた。文大統(tǒng)領(lǐng)と握手し板門店宣言に署名したあの建物に入ったとき、一方には韓國時(shí)間を示す時(shí)計(jì)が、また一方には北朝鮮時(shí)間を示す時(shí)計(jì)がかけられていた。
それを見た金正恩氏は、すぐには誰にも言わなかったが、「とても胸が痛かった」ということもコメントとして発表している。4月29日の発表によると、「北朝鮮が一方的に30分遅らせていたものだから、平壤の時(shí)間を30分また早め、ソウルと同じ時(shí)間を使うことにした」ということ。
1つ1つにナンクセをつけてきた北朝鮮。今、その態(tài)度は180度変化した。一つ一つ正常の形に戻そうとしている。
金正恩氏の內(nèi)部に本気で核をなくし、南となかよくやっていこうとする気持ちが芽生えていることは間違いない。北の時(shí)間については筆者もよく知っていて、30分のずれをもったまま當(dāng)分の間はやっていくんだろうなと思っていたら、會(huì)談終了後2日目にして時(shí)間を「南」に合わせると言って來た。こんな奇跡がおこってもいいのか。いよいよ、米朝首脳會(huì)談が期待されるものとなった。
うそばかりついてきた北だけど、今は信じてやろうじゃないか。日本人拉致被害者の解放にもプラスのベクトルとなるはずだ。文大統(tǒng)領(lǐng)と握手したあの顔は、うそに固められたこれまでの北の首領(lǐng)様の顔ではない。人間になった首領(lǐng)様つまり國務(wù)委員長の顔である。
英國のノーベル賞(平和賞)を占うある會(huì)社のオッズでは、金正恩氏が一番人気で1.7倍と出ているという。オッズは數(shù)字が小さいほど人気が高いことを意味する。今、金正恩氏はぶっちぎりの一番人気馬である。
平和さらに統(tǒng)一といえば、韓國におもしろい「予言」がある。
1975年ごろのこと。1人の高僧があった。タンホ(1913?1983)という和尚さん。韓國仏教界でもかなり有名な僧だった。この人が、忠清北道?提川(チュンチョンブクト?ジェチョン)と忠州(チュンジュ)の間にある月岳山(ウォラクサン)の麓に位置する徳周寺(ドクジュサ)で予言を行なった。
予言の內(nèi)容は、「月岳山の上に月が出て、月影が水に映ってから30年後に女性の大統(tǒng)領(lǐng)が現(xiàn)れる。女性大統(tǒng)領(lǐng)が出てから3、4年後に朝鮮半島は統(tǒng)一する」というものだった。
ところが、その當(dāng)時(shí)この予言は誰にも顧みられない予言だった。というのは月岳山の上に月は常に昇るのだが、月影が映るような川も湖もなかったからだ。海もないのだ。忠清北道というところは韓國で海のない唯一のド(道)である。
ところが1983年ごろ、提川に提川ダムの建設(shè)が決まりすぐにダムができることになる。ダムができてみると月岳山の上にのぼったお月様がダムにきれいに映るのだった。それから30年後というと2013年だが、この年になんと樸槿恵が大統(tǒng)領(lǐng)となる。女性第1號の大統(tǒng)領(lǐng)だった。
殘念ながら今は國政壟斷(ろうだん)の件で刑務(wù)所暮らしの狀態(tài)だけれど。2017年の3月10日に弾劾裁判にて弾劾され大統(tǒng)領(lǐng)職からいきなり前科者の身分となった。2017年を基準(zhǔn)にして3から4年後というと、2020年から2021年ごろとなる。タンホ和尚の徳周寺予言が、なんとなく真実となるのではないかと思わせる男2人の抱擁であった。
■筆者プロフィール:木口政樹
イザベラ?バードが理想郷と呼んだ山形県米沢市出身。1988年渡韓し慶州の女性と結(jié)婚。三星(サムスン)人力開発院日本語科教授を経て白石大學(xué)校教授(2002年?現(xiàn)在)。趣味はサッカーボールのリフティング、クラシックギター、山歩きなど。
■筆者プロフィール:木口 政樹
イザベラ?バードが理想郷と呼んだ山形県?米沢市出身。1988年渡韓し慶州の女性と結(jié)婚。元三星(サムスン)人力開発院日本語科教授、元白石大學(xué)校教授。趣味はサッカーボールのリフティング、クラシックギター、山歩きなど。著書に『おしょうしな韓國』、『アンニョンお隣さん』など。まぐまぐ大賞2016でコラム部門4位に選ばれた。 著書はこちら(amazon)Twitterはこちら※フォローの際はメッセージ付きでお願(yuàn)いいたします。
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2018/4/30
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