Record China 2018年5月16日(水) 20時(shí)40分
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14日、中原網(wǎng)に、「日本で目にした高齢者に説明しようのない悲しみを感じた」との文章が掲載された。資料寫(xiě)真。
2018年5月14日、中原網(wǎng)に、「日本で目にした高齢者に説明しようのない悲しみを感じた」との文章が掲載された。以下はその概要。
訪日旅行に行く前から、私は日本社會(huì)が深刻な高齢化に見(jiàn)舞われているということを聞いていた。加えて若者の家庭に対する意識(shí)の変化が伝統(tǒng)的な考え方に大きく影響し、多くの高齢者の生活はますますうら寂しいものとなっている。実際に日本の街中で高齢者の生活を目にした私は説明しようのない悲しみを感じたのだった。
では、実際に日本の高齢者はどのような日々を送っているのだろう。まず、彼らの多くはかなりの年齢になっても社會(huì)に出て働かなければならない。最も分かりやすい例はタクシードライバーだ。私が乗車(chē)した際、ドライバーは車(chē)を何度も路肩に停めた。カーナビを確認(rèn)するたびに老眼鏡をかけ替える必要があったためだ。ただ、高齢者らは仕事を続ける上でこうした不便さに直面するが、それでも仕事上の責(zé)任をきちんと果たしている。
一方、中國(guó)について考えてみると、ほとんどの高齢者は家でのんびりと過(guò)ごし、家族とのだんらんを楽しんでいるのではないだろうか。日本文化における「家庭観念」が中國(guó)ほど強(qiáng)くないということが両者の違いの理由だが、もう一つの側(cè)面としては日本の若者の「子どもを生みたい」という意識(shí)が薄れてきたため、外で働ける高齢者は仕事を続けるしかないのだ。
そして、これは食習(xí)慣と関係があるのだろうが、日本の高齢者は痩せている人が多く、中國(guó)のようにまるまるとしたおばあちゃんを目にすることはあまりない。これも彼らを寂しそうに感じさせる原因の一つだ。もちろん、日本の高齢者の間にも集會(huì)など社交の場(chǎng)は存在するが、その中に若い人の姿を見(jiàn)掛けることは少ない。中國(guó)なら高齢者同士の集會(huì)の場(chǎng)に少なくとも幼い子どもや赤ちゃんを連れて來(lái)る人の姿があることだろう。また、中國(guó)では春節(jié)(舊正月)に子どもたちが大変な思いをしてまで帰省しようとするが、都會(huì)で働く私の日本人の友人たちは「この數(shù)年間、1回も実家に戻っていない」と話していた。
私は日本滯在中のある晩、興味本位で地下にある古びた映畫(huà)館に行ってみた。24時(shí)間営業(yè)でチケット代もとても安いその映畫(huà)館には時(shí)間をつぶしに來(lái)た高齢者の姿があり、スクリーンの映像に全く関心を示さない彼らの姿は悲しいものだった。中國(guó)でも一部で親不孝な人は見(jiàn)られるが、高齢者の生活といった面ではやはり中國(guó)の方が人情味にあふれているのではないだろうか。(翻訳?編集/野谷)
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