四川大地震から10年、日本の救援隊(duì)員が現(xiàn)地を再訪し涙の慰霊=中國(guó)ネットは「感謝」

Record China    2018年5月16日(水) 0時(shí)20分

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14日、新京報(bào)の微博アカウントは、2008年5月12日に発生した四川大地震の國(guó)際救助隊(duì)メンバーとして現(xiàn)地で活動(dòng)した日本人2人が被災(zāi)地を訪れた様子を収めた動(dòng)畫を掲載した。寫真は四川大地震での日本の救助隊(duì)。

2018年5月14日、新京報(bào)の中國(guó)版ツイッター?微博(ウェイボー)アカウントは、2008年5月12日に発生した四川大地震の國(guó)際救助隊(duì)メンバーとして現(xiàn)地で活動(dòng)した日本人2人が被災(zāi)地を訪れた様子を収めた動(dòng)畫を掲載した。

動(dòng)畫に登場(chǎng)する2人の日本人、糟谷良久さんと中島康さんは、地震発生から3日後の5月15日から19日に日本政府が派遣した61人の國(guó)際緊急救助隊(duì)のメンバーだった。日本の救助隊(duì)員はこの時(shí)、北川中學(xué)などで計(jì)15人の遺體を発見している。

2人は北川中學(xué)の跡地に建てられた記念館を訪問。糟谷さんは「5.12」と刻まれた記念碑に靜かに手を當(dāng)てた。そして2人は現(xiàn)場(chǎng)の獻(xiàn)花臺(tái)に花を手向けると、目をつぶってしばらく黙禱を捧げた。中島さんは獻(xiàn)花臺(tái)の前で何かをつぶやくと、涙を流した。

糟谷さんは「急いで來(lái)て急いで帰ってしまったので、また訪れたいと思っていました」「救援隊(duì)は校舎に殘っていた生徒たちを救うために必死に活動(dòng)しました。私は後方支援に當(dāng)たり、ほとんど寢ませんでした。自分の職務(wù)を全うすることしか頭にありませんでした」「あの時(shí)の光景は今も脳裏に焼き付いています。突然命を落とした子どもたち、そしてその両親のことを考えると、とても心が痛みます」と語(yǔ)った。

中島さんは「10年前にまさにここで、命って何だろう、人生って何だろうって考えたんです。だから生きることそのものが、すごい貴重だって思うようになったし、子どもたちが元?dú)荬怯盲皮い摔趣?、ものすごく大切だって思うようになりました。だから毎日毎日きちっと生き切る。今日やることはやり切るって思って毎日頑張っています」と語(yǔ)っている。

そして、糟谷さんは最後に「帰國(guó)してから地震の映像をテレビで見て、涙が止まらなくなりました。今でも、心の中に當(dāng)時(shí)のことが深く殘っています」「私の仲間は、殘念ながらここに來(lái)られない人が大勢(shì)いますが、61人みんなが同じ思いでいます。亡くなった方のご冥福、殘られた方の今の幸せを心よりお祈りします」とカメラに向かって語(yǔ)った。

中國(guó)のネットユーザーからは「ありがとう」「感謝」という言葉が続々と寄せられた。また「彼らは間違いなくいい人たちだ」「愛に國(guó)籍は関係ない。中國(guó)人民を助けてくれた人には感謝を示すべきだ」「器量の狹い民族主義者はお斷りだが、彼らは愛に満ちている」といった感想も見られる。

さらに、地震でもろくも崩れ去った北川中學(xué)の校舎を改めて見て「日本では地震で安全な場(chǎng)所は學(xué)校だという。一方で、四川大地震で崩れ落ちたのも學(xué)校だ。子どもたちが生きていれば、今頃は立派な大人に成長(zhǎng)していただろうに……」と嘆息するユーザーもいた。(翻訳?編集/川尻

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