Record China 2012年4月3日(火) 8時(shí)2分
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29日、香港の英字紙サウスチャイナ?モーニング?ポストは、インドに唯一存在するチャイナタウン「タングラ(TANGRA)」が、歴史や政治的影響によって消滅しつつあると報(bào)じた。寫真はインドの首都ニューデリーの街頭にはためく中印國(guó)旗。
2012年3月29日、香港の英字紙サウスチャイナ?モーニング?ポストは、インドに唯一存在するチャイナタウン「タングラ(TANGRA)」が、歴史や政治的影響によって消滅しつつあると報(bào)じた。4月1日付けで環(huán)球時(shí)報(bào)が伝えた。
カルカッタの東部に位置するタングラは、歐米各地で見(jiàn)られるチャイナタウンとは様相を異にしている。広さ12平方キロメートルのこの街は、都市の騒音や汚染、雑踏から隔離されているような感さえある。
タングラで長(zhǎng)く生活してきた80歳の華人ポール?ジョンさんは「昔はこのあたりで2萬(wàn)人以上が生活していたが、今は4000人未満になってしまった」と語(yǔ)る。
1940年代後半、インドへ來(lái)た中國(guó)人は當(dāng)?shù)丐菙?shù)年間滯在した後、帰國(guó)するのが主流だった。中華人民共和國(guó)成立の1949年以降、一部の中國(guó)人はインドへ殘ることを余儀なくされ、約8萬(wàn)人の中國(guó)人がインドに帰化、その大部分がタングラに定住した。ジョンさんによると、タングラの華人社會(huì)は極めて閉鎖的で、外部と交流することが少なかったという。中國(guó)人學(xué)校へ通い、中華料理を食べ、主に皮革製造業(yè)によって生計(jì)を立てていたが、現(xiàn)地政府の差別と圧制により、街自體が徐々に孤立していった。
1962年に中印戦爭(zhēng)が発生すると、インド當(dāng)局は中國(guó)人の住民に対しスパイであるとの嫌疑を懸け、中國(guó)人移民の行動(dòng)はさらに制限を受けるようになり、一部はインド國(guó)籍を剝奪された。90年代後半、さらに、インド當(dāng)局はタングラの皮革製造業(yè)者約600社に対し、環(huán)境汚染軽減を名目として閉鎖を命令。多くの中國(guó)系住民がタングラを去り、タングラの人口はさらに減少した。
タングラ唯一の中國(guó)人學(xué)校も今は昔の面影がない。小さな教室で、學(xué)校唯一の教師が5人の學(xué)生に授業(yè)しているのを見(jiàn)ながら、ジョンさんは「私が通っていた頃は850人の學(xué)生がいた。今は多くの若者が自分が中國(guó)人であることを知らない」と嘆いている。(翻訳?編集/HA)
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