<コラム>日本の神社=靖國神社ではない、中國に約350カ所あった日本神社

工藤 和直    2018年5月23日(水) 19時40分

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日本人にとって寺社とは生活の一部であり、人生の最初と最後に立ち?xí)C(jī)會を與えてくれる節(jié)度の宗教施設(shè)である。寫真は筆者提供。

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初孫が産まれ、31日目の神社詣でを家族と行った。その時に使用した著物は、筆者が60數(shù)年前に使ったもので、これは長男誕生の折にも使い、三代続けて神社詣でのために使われた。戦後、物のない時に準(zhǔn)備してくれた祖父母に感謝したい。神社とは生まれて初めて詣で、長久を祈る場であり、新家族が誕生したことを公にする儀式の場である。神社とは日本人にとって生活の場である。そしてまた天壽を終えた時は、本願寺など寺で葬儀を行い、戒名によって「仏」となる。日本人にとって寺社とは生活の一部であり、人生の最初と最後に立ち?xí)C(jī)會を與えてくれる節(jié)度の宗教施設(shè)である。

その他の寫真

神社の起源は、7世紀(jì)ごろ磐座(いわくら)や神の住む禁足地(俗に神體山)などでの祭事の際に臨時に建てた神籬(ひもろぎ)などの祭壇で、本來は常設(shè)ではなかった。平安時代になると律令制のもと、律令神祇官(りつりょうじんぎかん)制度が江戸時代まで続くことになった。ところが、明治維新直後より近代的な中央集権化に適応する新たな神社體制の整備が始まった。

律令神祇官の家柄である白川家?吉田家をはじめとする近世までの制度が廃止され、政府內(nèi)に神社行政機(jī)関が設(shè)置された。また、古代以來の神仏習(xí)合(神仏混淆=しんぶつこんこう)を解消する神仏分離が行われ、明治4年(1871年)には封建的な土地支配制度を廃止する社寺領(lǐng)の上地が実施されたのち、全國の神社が「國家の宗祀」と定められ、神社に関するあらゆることが國家の法制度によって規(guī)定されてきた。戦前はいわゆる「國家神道」も「神社」と稱した。1945年の終戦後この制度はなくなった。

海外に展開した神社は、日本國內(nèi)と異なり、明治國家以降に日本人の海外移民に伴い進(jìn)出、神社本來の個人や家族の宗教的行事というより、「日本國家の宗祀」の意味合いが大きく、それを他國の方々に參拝詣でを強(qiáng)要させた歴史がある。その背景には、神社=天照大神=直系天皇=日本國家の構(gòu)造があったからだ。これが海外に展開した神社の“悲劇的末路”にもなった。朝鮮半島では戦後すぐに放火され、宮司が社と運(yùn)命を供にした痛ましい例もある。

日本には現(xiàn)在小さいものまで入れると、10萬カ所の神社があるといわれる。戦前、日本帝國主義の勢力拡大に伴い、アジア太平洋地域に1600余社が建立された。その內(nèi)、中國(當(dāng)時の中華民國)には551カ所がある。內(nèi)訳は臺灣島內(nèi)が1897年の開山神社を初めとし204カ所、舊満州(関東州含む)が1905年の安東神社をスタートに295カ所、舊満州以外の中國大陸は1915年青島臺東鎮(zhèn)神社をスタートに52カ所が建立された。また、朝鮮半島には955カ所という記録がある(文獻(xiàn)によると1000カ所を超えた事例もあり)。

(寫真1)は、中國內(nèi)の神社で撮られた寫真であるが、神社本來の姿(日本人家族のための宗教)を垣間見るものである。この中には悲慘なる戦爭や他國民を蔑視(べっし)する行為はまったく見られない。祈るのは家族の安寧であり、先祖への継承である。日常の生活に溶け込んだ本來の神社の姿である。中國の百度検索で、日本の神社=靖國神社と一律に誤表記されているが、大半の神社の祭主は天照大神や神武天皇ほか神話の祭主が多いのに対し、靖國神社は明治維新後の戦役で倒れた「人」が祭主であり、大きく異なる。

(寫真2)は1930年ごろの青島神社(1919年創(chuàng)建)109段の石段前の大広場の寫真である。桜並木が大鳥居から石段前まで続き、大きな石燈篭(とうろう)があった。石段の上には木造の鳥居があった(その亀腹が現(xiàn)存)。ちょうど春爛漫?桜満開の時期であったが、現(xiàn)在桜の木はない(現(xiàn)在の噴水の位置)。青島は、ドイツが租借した膠州灣租借地の一部だが、第一次世界大戦後日本が轄除した。山東省だけで9カ所の日本神社が確認(rèn)できる。

■筆者プロフィール:工藤和直

1953年、宮崎市生まれ。韓國で電子技術(shù)を教えていたことが認(rèn)められ、2001年2月、韓國電子産業(yè)振興會より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會社執(zhí)行役員兼務(wù)。蘇州日商倶楽部(商工會)會長として、日中友好にも貢獻(xiàn)してきた。

■筆者プロフィール:工藤 和直

1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大學(xué)大學(xué)院工學(xué)研究科修了。韓國で電子技術(shù)を教えていたことが認(rèn)められ、2001年2月、韓國電子産業(yè)振興會より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會社執(zhí)行役員兼務(wù)。2013年には蘇州日商倶楽部(商工會)會長として、蘇州市ある日系2500社、約1萬人の邦人と共に、日中友好にも貢獻(xiàn)してきた。2015年からは最高顧問として中國関係會社を指導(dǎo)する傍ら、現(xiàn)在も中國関係會社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中國や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進(jìn)め方」など多方面で講演會を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。

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