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戦前、舊満州やその南の租借地であった関東州に、日本人居留団によって日本人學(xué)校や神社仏閣が進(jìn)んで造られた。寫真は筆者提供。
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戦前、舊満州やその南の租借地であった関東州に、日本人居留団によって日本人學(xué)校や神社仏閣が進(jìn)んで造られた。邦人の保護(hù)を目的に日本人租界地に領(lǐng)事館が設(shè)立され、神社仏閣も並行して創(chuàng)建された。いわゆる半植民地化の例が租界であるが、日本は戦前中國內(nèi)に日清戦爭後8つの租界地を持った。杭州(1897年開設(shè))、蘇州(1897年開設(shè))、漢口(1898年開設(shè))、天津(1898年開設(shè))、重慶(1901年開設(shè))、沙市(調(diào)印後未開設(shè))、福州(調(diào)印後未開設(shè))、廈門(調(diào)印後未開設(shè))の租界地である。上海租界地は海外列國との共同租界地であり日本人租界地ではない。
【その他の寫真】
これら租界の內(nèi)、神社が確認(rèn)されなかったのは蘇州?重慶?沙市であった。天津神社(1915年11月創(chuàng)立)は天津総領(lǐng)事館の北対面(現(xiàn)在の山東路を挾んだ北)にあった。(寫真1)は天津総領(lǐng)事舘と天津神社が寫った航空寫真と現(xiàn)在の寫真を重ねたものだ?,F(xiàn)在も天津神社社務(wù)所が現(xiàn)存している。
參拝殿や本殿が現(xiàn)存しているのは、南京神社(1944年創(chuàng)立)?シ川神社(1940年創(chuàng)立、シ=さんずいに緇の糸なし)?西安神社(1935年創(chuàng)立)である。南京神社の參拝殿部は木造で、その後部の幣殿と本殿はコンクリート製に改裝されている。また、南京神社東隣にあった護(hù)國神社側(cè)の社務(wù)所が現(xiàn)存している。山東省シ博市シ川區(qū)に現(xiàn)存するシ川神社本殿(シ=さんずいに緇の糸なし)は、昭和15年創(chuàng)建時にコンクリート製であったのが幸いしたのか、現(xiàn)在まで破棄されずに殘った。その理由は、建築物として利用できるものは徹底利用したからであろう。
舊満州の新京(長春)市は偽満州國首都であった。長春神社の北面の鳥居が殘っている(松江路側(cè))。參拝殿は改修されて現(xiàn)存している(その骨格は確認(rèn)できる)。同じく奉天(瀋陽)神社の本殿も1985年代まで現(xiàn)存していたが、今はすでに切除されている。また、奉天市から北東部の文官屯にも鳥居(文官屯神社)のみが現(xiàn)存している。長春神社は公立幼稚園構(gòu)內(nèi)であり、文官屯神社は大學(xué)構(gòu)內(nèi)であったのが幸いしたのか。しかし、これら神殿は築後80年近い歳月が過ぎ、本殿崩落や鳥居倒壊の危険性もある現(xiàn)在、日本神社施設(shè)を歴史証人として後世へ引き継ぐためにも早期に補強改修保存される事を切に希望する。
臺灣は日清戦爭後下関條約(1895年)から植民地となり、その後日本主導(dǎo)で近代化が進(jìn)み、反日感情が弱いのが幸いして戦後も多くの神社が殘っている。桃園神社と通霄神社の社殿?鳥居?參道は當(dāng)時のまま殘っている(寫真2)。臺灣は1972年の中臺斷交によって多くの神社が破棄された経緯がある。かつて鄭成功の廟が開山神社となったのと逆に、日本神社が臺灣政府下では英雄廟として宗教儀式の場に再利用された例もある。
臺灣桃園國際空港南東10キロメートルにある桃園神社(1938年創(chuàng)立、桃園區(qū)成功路三段200號忠烈祠神社文化園區(qū):寫真2)跡は參道から本殿まで當(dāng)時のままであり、手水舎?社務(wù)所?石燈篭などが神社內(nèi)に整然と並んでいる。日臺関係悪化の際に、破壊される意見と文化財保存の意見に分かれたが、その後桃園市の文化財として補修されて現(xiàn)在に至っている(國家第三級古跡)。
大陸から引き上げた蔣介石の考えもあったのか、彼が中華民國首都南京に居た時にあった五臺山南京神社が現(xiàn)在まで殘った背景に、彼なりの意向があったかもしれない。また不思議なことに、日本に蔣介石を祭った神社が存在する(蔣公神社)。そして現(xiàn)在臺灣では神社復(fù)舊の気運さえある。最後に終戦時の1枚(寫真3)があるが、空襲によって廃墟になった神社に立つ鳥居の前で一禮をする女性の姿である。たとえ本殿はなくても、鳥居の向こうに御神體が居られることを?qū)g証している。御神體とは形でなく心にあるのだ。
■筆者プロフィール:工藤和直
1953年、宮崎市生まれ。韓國で電子技術(shù)を教えていたことが認(rèn)められ、2001年2月、韓國電子産業(yè)振興會より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會社執(zhí)行役員兼務(wù)。蘇州日商倶楽部(商工會)會長として、日中友好にも貢獻(xiàn)してきた。
■筆者プロフィール:工藤 和直
1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大學(xué)大學(xué)院工學(xué)研究科修了。韓國で電子技術(shù)を教えていたことが認(rèn)められ、2001年2月、韓國電子産業(yè)振興會より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會社執(zhí)行役員兼務(wù)。2013年には蘇州日商倶楽部(商工會)會長として、蘇州市ある日系2500社、約1萬人の邦人と共に、日中友好にも貢獻(xiàn)してきた。2015年からは最高顧問として中國関係會社を指導(dǎo)する傍ら、現(xiàn)在も中國関係會社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中國や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進(jìn)め方」など多方面で講演會を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。
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