<海峽両岸ななめ読み>(4)「1972年體制」の多面的な検証を―盛り上がらない日中國(guó)交回復(fù)40周年

Record China    2012年6月10日(日) 9時(shí)9分

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1972年は、沖縄返還や日中國(guó)交正?;胜涩F(xiàn)在の日本を取り巻く國(guó)際環(huán)境が固定化した年として注目されている。しかしその一つの中核をなす日中関係が、國(guó)交正?;?0周年を迎えて良好になるどころか、むしろ表面的には悪化しているように見える。寫真(1枚目)は毛沢東像。

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1972年という年は、東アジアにおいて沖縄返還や日中國(guó)交正常化など現(xiàn)在の日本を取り巻く國(guó)際環(huán)境が固定化した年として一部で注目されており、昨年から、40周年を迎える今年にかけ學(xué)界や論壇の一部で「1972年體制」という言葉が注目されている。しかし世間一般的にはこの「1972年體制」は、やや偏った形でしか注目を集めていないように思われる。おそらくそれはこの問題の一つの中核をなす日中関係が、國(guó)交正?;?0周年を迎えて良好になるどころか、むしろ表面的には悪化しているように見えるためではないだろうか。

その他の寫真

 

 ▽盛り上がらない日中國(guó)交正常化40周年

 

米軍統(tǒng)治下にあった沖縄が日本に返還されて40周年を迎えた。5月中旬に行われた沖縄返還式典は、沖縄問題に対する高い注目をこれまでよりは集めたように思われる。この日の式典の模様はNHKでも一部ながら生中継されたし、この日の前後にはやはりNHKや同BS中心に數(shù)々の特番が組まれた。普段の日本國(guó)內(nèi)の沖縄に対する冷遇ぶりから考えれば通常よりはきちんと扱われた面が大きく、筆者は、日本のいわゆる本土でも沖縄問題に対する理解はこれまでよりは深まったのではないかと考えている。また、沖縄の人たち當(dāng)事者からすればおそらくなお本土のメディアの扱いには不満の聲もあろうが、中にはようやく溜飲を下げた人達(dá)もいるのではないだろうか?

 

それに引き換え、と言いたくなるのが、日中國(guó)交正常化40周年である。

 

今この言葉をキーワードにしてインターネットで検索してみると、確かにこの節(jié)目を記念すべく組まれた行事は多數(shù)ある。しかしそれも上位の方に來(lái)るのは、お役所などいわゆる當(dāng)局系の催しか、一部の學(xué)術(shù)団體、友好団體によるものでしかない。筆者の感覚で言えば、こういった一部の事例を除けば、2012年6月上旬現(xiàn)在で日中國(guó)交正?;?0周年を何らかの形で記念しようという雰囲気は、中國(guó)と関わりのある一部層を除くと、日本社會(huì)一般の中ではほぼ皆無(wú)といっても言い過ぎではないのではないだろうか?

 

それどころかこれを祝うような空気にむしろ逆行するかのような動(dòng)きばかり一見表面化しているように見える。懸案の尖閣諸島の東京都による購(gòu)入構(gòu)想、都內(nèi)で開かれた世界ウイグル會(huì)議への中國(guó)側(cè)からの抗議などだが、何と言っても一般的次元では一見してインパクトがあるように感じられたのは、駐日中國(guó)大使館前書記官の在日勤務(wù)時(shí)におけるスパイ疑惑であるだろう。

 

 ▽スパイ騒動(dòng)を検証してみると…

 

 これは5月末に読売新聞を皮切りに各メディアが次々と報(bào)じたものでご存知の向きも多いだろう。報(bào)道によれば、直接的には在日中國(guó)大使館の前一等書記官が身分を偽って外國(guó)人登録証を取得?更新していた疑いで警視庁が出頭要請(qǐng)していたが既に帰國(guó)済み。しかしその後の調(diào)べでこの前書記官が日本の政財(cái)界に広い人脈を持ち、何と言っても農(nóng)業(yè)関係の利権やビジネスチャンスを基に、交代後の民主黨政権下において農(nóng)水省関係者と特に近い関係にあり、農(nóng)水副大臣室にまで出入りしていた―などとされる問題だ。筆者も食事中のファミレスで第一報(bào)を読み當(dāng)初はそれなりの衝撃を受けた。しかし日が経つにつれ、筆者の場(chǎng)合、これがそうたいしたことだろうか、との疑念も強(qiáng)まっていった。

 

というのも、一つには別に中國(guó)が相手だからというわけではなく、どこの國(guó)でも外交官というものはこの手の、ちょっとタイミング次第によってはスパイ活動(dòng)とも受け止められかねないグレーゾーンの活動(dòng)をしているであろうことは容易に想像がつくからだ。スパイ活動(dòng)を肯定するわけではないが、そもそもこうしたインテリジェンス、カウンターインテリジェンスの活動(dòng)なしには國(guó)際政治は成り立っていかない。まして中國(guó)の場(chǎng)合、日本での立件數(shù)そのものは多くはないとはいえ、社會(huì)體制の違いもありかなりの頻度でこうした活動(dòng)が半ば公然と行われていても不思議ではないし、現(xiàn)に立件されないまでも多々行われてきたはずである。

 

さらに今回の容疑に関して言えば、件(くだん)の前書記官は十分な活動(dòng)資金を供與されておらず、自分の力で活動(dòng)資金を捻出していたことになる。ただ一方で、実はスパイなど目的ではなく単に私腹を肥やしていただけではないかとの聲もあるし、げんにそうした疑問をストレートに提起した週刊誌もあった。

 

とすると今回の報(bào)道には別な狙いがあったのではないか、と勘ぐりたくもなる。確証はなく勝手な推量にはなってしまうが、筆者が第一に想定したのは日本國(guó)內(nèi)の文脈で、はっきりいえば現(xiàn)政権の農(nóng)水関係者への追及を手始めに民主黨つぶしを目論む勢(shì)力がリークしたのではないかということだった。ではそうした勢(shì)力はどこかといえばまず自民黨だろうということになるし、げんに筆者の予想したとおりこの疑惑報(bào)道は自民黨による民主黨追及という事態(tài)へとつながりつつある。が、それこそ國(guó)交正?;?0周年ということを考えると、さらにアクロバティックな深読みもできそうだ。

 

 民主黨は、日中國(guó)交正常化の立役者の娘を黨內(nèi)に抱えているとはいえ、経験が淺く対中ルートがきちんと確立されているとは言いがたいように思える。それに比べるとやはり自民黨は國(guó)交正?;詠?lái)の対中ルートという資産があり、中國(guó)からすると実は自民黨のほうが與(くみ)し易い相手である可能性が高い(とするとこの點(diǎn)自民黨はいわば臺(tái)灣の國(guó)民黨にも似ていることになる)。だとすれば民主黨にとって困難な方向へと舵を切ったのは、自民黨以前に中國(guó)側(cè)のいずれかの筋である可能性もひょっとすると出てくる。もっともその読みがかりに當(dāng)たっているとすれば、それは手の込んだ「內(nèi)政干渉」ということにもなってきかねないが…

 

 ▽"床屋談義"からあえて離れて

 ただしこの読みも現(xiàn)時(shí)點(diǎn)では裏付ける証拠に乏しく、床屋談義に過ぎない。そして今重要なことはそうした床屋談義に興じることではない。はたまた表面的な友好関係を演出することでもない(ことわっておくが筆者はもちろん中國(guó)との友好関係維持に反対ではなくむしろその逆だが「表面的な演出」には批判的である)。今重要なことはそうした枝葉末節(jié)にとらわれず大局を見ること、すなわちこの文章の文脈で言えば、現(xiàn)在の視點(diǎn)から40年前の出來(lái)事の歴史的関連性を読み解いていくことではないか。

 

 そうすると、沖縄返還と日中國(guó)交正?;改辘扦ⅳ毪长趣吓既护扦悉胜胜螭椁伍v連性があるのではないかという問いが浮上してくることになる。実はこの2つの連関性について論じた論考は少數(shù)ながら既にあるので詳細(xì)はそちらに譲ることにするが、にしても沖縄返還をめぐる今日の言説の中で、同じ年の日中國(guó)交正常化がさほど言及されないのは、この2つの出來(lái)事の関わりについての理解が、少なくとも世間一般的にはさほど根付いていないことを物語(yǔ)るものではあろう。この現(xiàn)狀からすると、この2つはより大きな文脈から関連付けて論じられる必要があるのではないか。

 

 それから日中國(guó)交正?;?0周年とはとりもなおさず日華斷交40年、すなわち臺(tái)灣(中華民國(guó))との正式な外交関係がなくなってから40年経つということでもある。筆者は政治的な意味では中國(guó)大陸、臺(tái)灣いずれにも肩入れするシンパではないと自負(fù)するが、それでもこの連載の趣旨からすれば言及しておくべき點(diǎn)ではあり、角度を変えて東アジア現(xiàn)代史を読み直す場(chǎng)合にも必要な視角であるだろう。

こうして1972年という節(jié)目に様々な角度から光を當(dāng)て直すことによって、初めて「1972年體制」が、勝手に獨(dú)り歩きする言葉ではなく実質(zhì)的な意味を持つ言葉になるのではないだろうか。

(本田親史/國(guó)士舘大アジア?日本研究センター客員研究員<PD>)

●寫真説明 1枚目=長(zhǎng)沙市の湖南大學(xué)にそびえ立つ毛沢東。72年田中角栄と會(huì)見した毛沢東は今日の中國(guó)の繁栄と日中関係の現(xiàn)狀を予想しただろうか 2枚目=08年3月、國(guó)民黨政権再誕生をもたらした臺(tái)灣総統(tǒng)選での民進(jìn)黨サイドの選挙演説車。1972年は今日の「臺(tái)灣問題」の複數(shù)の起源の一つとも解釈できる。

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