毛沢東の中山服も作った老舗テーラー「紅都」、今やすっかり庶民の店に―中國

Record China    2012年6月21日(木) 13時37分

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17日、中國?北京の老舗テーラー「紅都」は毛沢東からトウ小平、江沢民時代まで、中國指導(dǎo)者たちの御用達(dá)だった。ところが、時代の移り変わりとともに指導(dǎo)者たちの好みも変化。今やかつての栄光は色褪せ、庶民向けの店へと変貌を遂げている。

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2012年6月17日、中國?北京の老舗テーラー「紅都」は毛沢東からトウ小平江沢民時代まで、中國指導(dǎo)者たちの御用達(dá)だった。ところが、時代の移り変わりとともに指導(dǎo)者たちの好みも変化。今やかつての栄光は色褪せ、庶民向けの店へと変貌を遂げている。米華字サイト?多維新聞が伝えた。

その他の寫真

北京東部の小さな路地?東交民巷にある老舗テーラー「紅都」。ここはかつて、毛沢東、トウ小平、江沢民などの歴代指導(dǎo)者や外國要人らがこぞってオーダーメイドの服をあつらえた高級店だった。だが、多様化の時代とともに指導(dǎo)者たちのニーズも変化。胡錦濤(こ?きんとう)國家主席や習(xí)近平(しゅう?きんぺい)國家副主席もこれに倣わず、自分の好きなブランドの服を著ている。

1950年代、建國間もない中國では國家指導(dǎo)者に相応しい服裝を模索していた。そこで、周恩來の號令のもと、1956年3月から4月にかけて上海から腕の良い職人208人が北京に集められる。同年秋、さらに上海から21人が呼び寄せられ、中國共産黨指導(dǎo)者が著る服を?qū)熼Tに作る部署として「中央弁公庁特別會計室服裝加工部」が誕生した。

當(dāng)時、毛沢東の「中山服」を任された田阿桐(ティエン?アートン)氏によると、採寸の際、偉大なる指導(dǎo)者に近づくことを許されず、5m離れた地點から目測で行った。毛沢東が1956年開催の中國共産黨第8回全國代表大會で著用した中山服は、田氏が作ったもの。額が広く、顔が大きめの毛沢東に合わせ、民國時代のものより襟の幅を広くし、上著の後ろを長く、肩パッドで肩のラインを盛り上げ、ウエスト部分を少しだけ絞ったデザインにした。

このほか、周恩來の服を擔(dān)當(dāng)した余元芳(ユー?ユエンファン)氏は、1964年に北京を訪問したカンボジアのシハヌーク前國王や家族に目測での採寸で作ったコートとスーツを獻(xiàn)上、國王に「サイズがぴったり」だと大変驚かれたというエピソードを持つ。

「紅都」の店名はもともと「浪緯」だったが、文化大革命(1966?1976年)の時に「反帝服裝店」へと改名。だが、中國外交部がこれに反対し、「紅都」となった。1990年代からは庶民にも開放。今や店構(gòu)えも一見するとごく普通の洋品店といった感じだ。最も高いものは2萬3500元(約30萬円)の中山服だが、庶民向けのTシャツなども販売している。(翻訳?編集/NN)

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