Record China 2012年7月1日(日) 18時(shí)52分
拡大
人民網(wǎng)は記事「林彪の疑念=北朝鮮の救援に人口5億の中國をむちゃくちゃにする価値はない」を掲載した。寫真は2012年3月、瀋陽市の人民志願(yuàn)軍陵墓。清明節(jié)に學(xué)生、軍人が墓參りに訪れた。
(1 / 3 枚)
2012年6月、人民網(wǎng)は記事「林彪の疑念=北朝鮮の救援に人口5億の中國をむちゃくちゃにする価値はない」を掲載した。雑誌「文史參考」2012年第8期掲載記事の要約。
【その他の寫真】
1950年年、朝鮮戦爭(zhēng)が勃発した。同年10月1日、金日成は中國政府に出兵を要請(qǐng)した。翌2日から5日にかけ、毛沢東は中國共産黨中央政治局拡大會(huì)議を開催し、この問題を議論したが、反対者は多かった。
その一人が林彪。北朝鮮に先制攻撃を許したのはソ連のスターリンの陰謀で、米國の出兵を招いて東西を引き裂く策略ではないかと指摘した。また米國はたとえ北朝鮮を占領(lǐng)したとしても、鴨緑江を越えて中國領(lǐng)內(nèi)に侵入する危険はないと見ていた。米國は出兵しなければ即座に中國と國交を成立すると約束しており、この機(jī)に乗じるべきだと主張した。
反対論を唱えた林彪だが、會(huì)議後は出征の準(zhǔn)備を整えていたという。しかし最終的に中國人民志願(yuàn)軍の指揮官に選ばれたのは彭徳懐。林彪はモスクワで病気の治療を受けることになった。(翻訳?編集/KT)
この記事のコメントを見る
Record China
2008/9/6
2008/7/10
2007/12/6
2007/7/24
2011/10/4
ピックアップ
we`re
RecordChina
お問い合わせ
Record China?記事へのご意見?お問い合わせはこちら
業(yè)務(wù)提攜
Record Chinaへの業(yè)務(wù)提攜に関するお問い合わせはこちら
この記事のコメントを見る