工藤 和直 2018年7月27日(金) 1時(shí)40分
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山東省済南市から高速鉄道で東へ1時(shí)間、シ博市は解放前に「張店」と呼ばれ、張店停車場(chǎng)はシ川炭鉱?博山への鉄道支線分岐點(diǎn)として、膠済線では最重要の停車場(chǎng)であって最大の操車場(chǎng)を有していた。寫真は筆者提供。
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山東省の省都?済南市から高速鉄道で東へ1時(shí)間、シ博市(シ=さんずいに緇の糸なし)は解放前に「張店」と呼ばれ、張店停車場(chǎng)(1903年建設(shè):現(xiàn)在はシ博駅)はシ川炭鉱?博山への鉄道支線分岐點(diǎn)として、膠済線では最重要の停車場(chǎng)であって最大の操車場(chǎng)を有していた(寫真1)。そのような土地柄から、張店には張店病院?妙心寺?屠獣場(chǎng)があり、中華人向け小學(xué)校を併設(shè)しているドイツ系の張店天主教堂(駅の右手に現(xiàn)存)もあった。張店駅の近辺は、道路も建物も全て日本式で、済南と坊子に次いで日本人が多い町であった。中華人の人口は200人前後で戸數(shù)は50戸ばかりであったのに対して、日本人の人口は664人、戸數(shù)は144戸であった。
【その他の寫真】
日本人は各種の営業(yè)を営んでおり、湯屋?洗濯屋?質(zhì)屋?古物商?洋服屋?呉服屋?時(shí)計(jì)屋?運(yùn)送屋?醫(yī)師?女髪結(jié)?遊技業(yè)と広範(fàn)に及んでいる。貿(mào)易商14店、雑貨商6店もあった。博愛街には張店神社(1919年11月22日創(chuàng)建)があった。斉都「臨シ」の南にある臨シ駅は當(dāng)時(shí)辛店駅といわれ貨物駅(1904年建設(shè))であったが、その前は張夏駅と呼ばれていた。張店駅は、北に行けば鉄山、南に行けば黃山炭坑(シ川炭坑)?博山炭坑への中継駅として山東省における採(cǎi)鉱集積上最も重要かつ最大の駅であった。(寫真2)は現(xiàn)在のシ博駅ホーム。
張店には、さらに飲食店が3軒、料理店が8軒、宿屋が3軒あり、これに応じて蕓妓(げいぎ)3人、酌婦(しゃくふ)14人、仲居1人がいたようだ。鉄道中継駅として、金嶺鎮(zhèn)鉄鉱?博山炭鉱?シ川炭鉱など、この付近に広く在住する日本人を相手とする商売が繁盛していたのであろうか。張店尋常小學(xué)校が新設(shè)されているが、児童數(shù)、學(xué)級(jí)數(shù)等についての詳細(xì)な記述はない。シ博駅周辺の學(xué)校で戦前からあるのは、張店天主教堂の対面(シ博市第三醫(yī)院)右の第五中學(xué)くらいだと聞いたが、ここが張店尋常小學(xué)校跡かどうかは斷定できなかった。また、この第三醫(yī)院も張店病院跡ではないだろうか。
シ博駅から南に20キロメートルほど行くとシ川區(qū)がある。駅から公共バスで5分、公交東站バスターミナルがあり、ここから多方面にバスが運(yùn)行されている。103番のバスに乗ること40分、洪山路バス停で降りて南に歩いて10分ほど行くと西山公園が見えてくる。ここを過(guò)ぎてシ鉱影刷院の南西150メートルの所に、シ川神社本殿が現(xiàn)存している(シ川區(qū)洪山鎮(zhèn)シ砿路133:寫真3)。1940年(昭和15年)創(chuàng)建の東向き鉄筋コンクリート製で、これが幸いしたのか。中國(guó)大陸で現(xiàn)存している本殿や參拝殿は南京市五臺(tái)山の南京神社と合わせて2カ所でないかと想定される。
臺(tái)灣を除いて中國(guó)大陸には約350カ所近い日本の神社が建てられたが、本殿が現(xiàn)存している事に驚きを禁じ得ない。ただ、本殿の屋根や欄干?破風(fēng)?手挾のコンクリートがはがれ、內(nèi)部天井も落下の危険性もあるので「立入禁止」となっている。早急なる補(bǔ)強(qiáng)工事の必要性を感じた。また、本殿正面から東70メートルほどに鳥居の足を置く花崗巖でできた亀腹がひとつ(鳥居の右足部の基礎(chǔ)石)殘っていた。本殿前の鳥居は1960年ごろに切除されたとのことであった(寫真4)。
西山公園の緩やかな坂を登って行くと、同じく鉄筋コンクリート製の納骨堂がある。さらに山の頂には炮樓と呼ばれる花崗巖でできた日本陸軍が造ったドームがあった。山の頂上であり、軍事的な意味合いのある監(jiān)視塔であったのだろうか。シ川は炭鉱の町である。戦前もまた同じく炭鉱で栄え、多くの日本人が住んでいた(寫真5)。
■筆者プロフィール:工藤和直
1953年、宮崎市生まれ。韓國(guó)で電子技術(shù)を教えていたことが認(rèn)められ、2001年2月、韓國(guó)電子産業(yè)振興會(huì)より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國(guó)江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會(huì)社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會(huì)社執(zhí)行役員兼務(wù)。蘇州日商倶楽部(商工會(huì))會(huì)長(zhǎng)として、日中友好にも貢獻(xiàn)してきた。
■筆者プロフィール:工藤 和直
1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大學(xué)大學(xué)院工學(xué)研究科修了。韓國(guó)で電子技術(shù)を教えていたことが認(rèn)められ、2001年2月、韓國(guó)電子産業(yè)振興會(huì)より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國(guó)江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會(huì)社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會(huì)社執(zhí)行役員兼務(wù)。2013年には蘇州日商倶楽部(商工會(huì))會(huì)長(zhǎng)として、蘇州市ある日系2500社、約1萬(wàn)人の邦人と共に、日中友好にも貢獻(xiàn)してきた。2015年からは最高顧問(wèn)として中國(guó)関係會(huì)社を指導(dǎo)する傍ら、現(xiàn)在も中國(guó)関係會(huì)社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中國(guó)や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進(jìn)め方」など多方面で講演會(huì)を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。
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