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21日、観察者網(wǎng)は「旭日旗はいったい何を象徴しているのか」とする評(píng)論文章を掲載した。寫(xiě)真は旭日旗。
2018年7月21日、中國(guó)メディア?観察者網(wǎng)は「旭日旗はいったい何を象徴しているのか」とする評(píng)論文章を掲載した。以下はその概要。
パリのシャンゼリゼ通りで、旭日模様の陸上自衛(wèi)隊(duì)旗が翻った。韓國(guó)メディアが「ナチス旗がシャンゼリゼ通りを進(jìn)んだも同然だ」と評(píng)する一方、旭日旗は舊日本軍のマークに過(guò)ぎず、特定の政治的な傾向を示すものではないという見(jiàn)方をする人もいる。
旭日旗は「日の丸」から派生したもので、古來(lái)からあるものでもなければ、日本民族を代表するものでもない。江戸幕府は1854年以降日の丸を日本船の旗として定め、ここから事実上日の丸が日本の國(guó)旗、軍旗として用いられるようになった。
旭日旗が公的な記録に出現(xiàn)するのは1870年のこと。明治政府は敵軍である幕府軍と區(qū)別すべく、日の丸から十六本の赤線(xiàn)が放射狀に延びた旭日旗を軍旗として採(cǎi)用した。これが現(xiàn)在の陸上自衛(wèi)隊(duì)旗である八條旭日旗につながっている。また、日の丸を使い続けてきた海軍も1889年に日章部分を旗竿側(cè)に寄せた旭日旗を軍艦旗として用いるようになり、これが現(xiàn)在も踏襲されている。
つまり、旭日旗は日本の近代軍事體系の構(gòu)築とともに出現(xiàn)した、近現(xiàn)代軍事體系の象徴である。しかし、現(xiàn)行の日本國(guó)憲法では、武力の保持と交戦権を放棄し、専守防衛(wèi)のみが認(rèn)められており、1954年の自衛(wèi)隊(duì)発足時(shí)に旭日旗を復(fù)活させたことは明らかに憲法違反だった。
旭日旗が象徴するのは軍隊(duì)だけではなく、天皇制軍國(guó)主義の軍隊(duì)だ。軍旗は天皇の分身であり、ボロボロになったとしても安易に取り換えることは許されなかったし、戦場(chǎng)で軍旗を紛失すれば大罪とされた。軍旗を重視する各國(guó)の中でも、日本ほど軍旗に高い地位を與えて神格化した國(guó)はほとんどない。
中國(guó)や韓國(guó)にとって旭日旗は侵略や占領(lǐng)の象徴だが、西洋の多くの國(guó)にとってはそう簡(jiǎn)単に「侵略の象徴」と斷じることはできない。なぜなら義和団を鎮(zhèn)圧した八國(guó)連合軍には旭日旗が混ざっていて、日露戦爭(zhēng)で翻った旭日旗の背後には大英帝國(guó)のユニオンジャックがはためいていたからだ。
ナチス旗は1930~40年代のファシズムと殘虐な行為を象徴するものだが、旭日旗は第2次大戦だけでなく、帝國(guó)主義時(shí)代全體、帝國(guó)主義による全世界の植民化、侵略、殺りくをも象徴するものなのだ。だから、旭日旗が持つ意味はナチス旗とは異なり、そしてナチス旗よりも大きな意味を持っているのである。(翻訳?編集/川尻)
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