工藤 和直 2018年8月5日(日) 9時(shí)40分
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済南市は山東省の省都で膠済鉄道と津浦鉄道が交わる交通の要衝で、北京南駅から高速鉄道で1時(shí)間半である。かつての古代四大河川の一つである済水の南側(cè)に位置したことから、済南と命名された。寫真は筆者提供。
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済南市は山東省の省都で膠済鉄道(青島?済南間)と津浦鉄道(天津?上海間)が交わる交通の要衝で、北京南駅から高速鉄道で1時(shí)間半である。かつての古代四大河川(長江、黃河、淮水、済水)の一つである済水(その河川は現(xiàn)存せず、今の黃河の底に眠る)の南側(cè)に位置したことから、済南と命名された。済南市の歴史は長く、黃河文明龍山文化の発祥の地といわれ、域內(nèi)で多數(shù)の新石器時(shí)代の遺跡が発掘されている(城子崖遺跡など)。舜王の治世時(shí)代(紀(jì)元前22世紀(jì)ごろ)からすでに豊かな土地柄であった。こうした古代の記憶は、舜王にちなんだ地名にしっかりと刻み込まれている(舜井、舜耕路、舜華路、舜耕山など)。
【その他の寫真】
清朝も末期に至ると、帝國列強(qiáng)による植民地化が進(jìn)み、ついに1904年、済南府も開港させられ、 済南は急速に経済発展が進(jìn)んだ。1911年末には津浦鉄道の黃河大橋が完成し、済南府は南北交通ルートの重要拠點(diǎn)となる。翌1912年に中華民國が成立し、1928年5月3日、日本軍と國民黨軍との間で済南事件が勃発する。日本軍は、蔣介石率いる國民革命軍が張作霖への北伐再開を牽制するため、居留民保護(hù)を名目にして出兵(第二次山東出兵)した。1928年(昭和3年)5月3日に済南で市街戦が起こり、8日には日中全面衝突へと発展した。日本軍は多數(shù)の中國人を殺傷し、中國國民の対日感情を極度に悪化させることとなった。さらにこれに乗じて増派した兵力を山東省から華北全域に展開(第三次山東出兵)させたが、內(nèi)外の批判を受け翌年には撤兵することとなった。
済南市槐蔭區(qū)経三路238號(hào)に日本領(lǐng)事館跡がある。済南事件を目の當(dāng)たりに見た歴史の証人である。済南駅前の経一路を西方向に行き、緯六路から南方向に行き、経三路で右折したすぐ左である。第一次世界大戦終了後に青島の租借権をそのまま引継いた直後の1918年に建設(shè)された。その後、1928年5月の済南事件で焼かれ1939年に再建され現(xiàn)在に至る(寫真1上)。
経三路から入った正面には、事務(wù)棟として使われた2號(hào)樓や山東鉄路の建屋がある。入って左にある二階建ての建屋が領(lǐng)事館の建屋である。正面は大きなプラタナスで覆われ、南面に庭がある。その向こうはタイル張りの噴水があった。領(lǐng)事館時(shí)代はここでガーデンパーティーが開かれたかもしれない。さらに南方向へ行くと現(xiàn)在は営業(yè)をしていない済南飯店がある。解放後、毛沢東をはじめ、劉少奇、宋慶齢など多くの共産黨幹部がここに泊まったという(寫真1下)。
また、この付近は済南駅前の舊市街地にあたり、古い建物がいくつも見える。教會(huì)や郵便局、日本軍駐在司令部(経二路162號(hào))などもあった。経二路276號(hào)は緯五路と交差する東南角で現(xiàn)在公安局交通警察支隊(duì)(寫真2)となっているが、ここは日本の高島屋百貨店(済南出張店)の跡である。高島屋の海外進(jìn)出は、1899年(明治32年)フランスリヨンに始まり、中國は1905年(明治38年)に天津事務(wù)所、1938年の南京出張店に次いで1941年に済南出張店が開業(yè)した。高島屋のHPなど見ると、現(xiàn)在上海地下鉄10號(hào)線伊犁路にある店舗を中國一號(hào)店としているが、戦前中國に進(jìn)出したことは書かれていない。確かに官需受注による軍の命令下であったかも知れないが、この建物の「高島屋」は消せない歴史である(寫真3)。
■筆者プロフィール:工藤和直
1953年、宮崎市生まれ。韓國で電子技術(shù)を教えていたことが認(rèn)められ、2001年2月、韓國電子産業(yè)振興會(huì)より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會(huì)社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會(huì)社執(zhí)行役員兼務(wù)。蘇州日商倶楽部(商工會(huì))會(huì)長として、日中友好にも貢獻(xiàn)してきた。
■筆者プロフィール:工藤 和直
1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大學(xué)大學(xué)院工學(xué)研究科修了。韓國で電子技術(shù)を教えていたことが認(rèn)められ、2001年2月、韓國電子産業(yè)振興會(huì)より電子産業(yè)大賞受賞。2004年1月より中國江蘇省蘇州市で蘇州住電裝有限公司董事総経理として新會(huì)社を立上げ、2008年からは住友電裝株式會(huì)社執(zhí)行役員兼務(wù)。2013年には蘇州日商倶楽部(商工會(huì))會(huì)長として、蘇州市ある日系2500社、約1萬人の邦人と共に、日中友好にも貢獻(xiàn)してきた。2015年からは最高顧問として中國関係會(huì)社を指導(dǎo)する傍ら、現(xiàn)在も中國関係會(huì)社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中國や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進(jìn)め方」など多方面で講演會(huì)を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。
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