<海峽両岸ななめ読み>(6)天安門関係者が中國(guó)に帰國(guó)できる機(jī)會(huì)はもうないのか―民主化運(yùn)動(dòng)家?王丹氏

Record China    2012年7月15日(日) 7時(shí)10分

拡大

7月上旬、23年前の天安門事件時(shí)のリーダー、王丹氏が來(lái)日しその肉聲を近くで聴く機(jī)會(huì)を得た。貴重な機(jī)會(huì)でもあり、その印象記を記しておきたい。寫(xiě)真は聴衆(zhòng)からの質(zhì)問(wèn)に答える王丹氏。

(1 / 2 枚)

2012年7月上旬、23年前の天安門事件時(shí)のリーダー、王丹氏が來(lái)日しその肉聲を近くで聴く機(jī)會(huì)を得た。貴重な機(jī)會(huì)でもあり、その印象記を記しておきたい。寫(xiě)真は聴衆(zhòng)からの質(zhì)問(wèn)に答える王丹氏。

その他の寫(xiě)真

筆者は通常中國(guó)関係の集まりは學(xué)會(huì)を含め出席に際し、かなり考慮する。それは研究者としての自分に自信がないこともあるが、この場(chǎng)でも論じてきたように中國(guó)?臺(tái)灣関係は日本國(guó)內(nèi)で扱うにはかなり"敏感"なテーマであり、參加者が多數(shù)の場(chǎng)合紛糾することもあるためだ。しかしそれでも今回は足を運(yùn)んでみようと思ったのは、參加者が比較的限定された場(chǎng)であったことと、この連載コラム第2回でも述べたように天安門とは自分の個(gè)人史にも大きく関わりがある事件で、貴重な機(jī)會(huì)であるためだ。

実際に肉眼で見(jiàn)た王丹氏は思いのほか、小柄でちょっと意外ではあった。実は開(kāi)演前に場(chǎng)所がわからず、たまたまその場(chǎng)にいた王氏にちょっと聲をかけて場(chǎng)所をうかがったのであるが、その回答ぶりからも人の良さがうかがえた。

▽日本國(guó)內(nèi)の民主化支援體制の遅れを指摘

そのことはさておき実際の質(zhì)疑応答の様子を紹介しよう。開(kāi)演後、誰(shuí)からともなく質(zhì)問(wèn)され真っ先に話題となったのは、中國(guó)の民主化支援をめぐる日米もしくは臺(tái)灣との溫度差の問(wèn)題だった。関心のある向きにはよく知られているように、米國(guó)では國(guó)務(wù)省內(nèi)外および議會(huì)、さらには官民問(wèn)わず中國(guó)民主化支援の団體が數(shù)多く存在し支援體制が整っているといえる條件にある。臺(tái)灣の場(chǎng)合にも自らの民主化後にはそうした団體が比較的多く存在するようになっていることも知られている。しかるに日本の場(chǎng)合はそこまでの狀況にはないようである…。

ということを王氏はきわめて遠(yuǎn)慮がちに指摘した後、日本の民主化支援體制強(qiáng)化を訴えた。特に日中間の歴史認(rèn)識(shí)問(wèn)題の存在に言及し、中國(guó)の民主化支援を行うことで歴史認(rèn)識(shí)問(wèn)題の「埋め合わせ」を図ることも可能ではあり、また東アジアにおいてスムーズな國(guó)際関係構(gòu)築のためにも中國(guó)民主化支援は必要であると主張した。

こうした氏の主張は、これまでも再三指摘されてきたことであり、筆者はあまり多くの意見(jiàn)をその場(chǎng)では挾まなかったが、改めて考えさせられた。氏が指摘したことは戦後日本外交の自立性という問(wèn)題に絡(luò)む。つまり敗戦國(guó)日本の外交が真に自立したものであれば、中國(guó)への民主化支援をも外交カードとして使うことが可能なのであろうが、殘念ながら70年代以降の米中関係が日本の頭越しで始まったことが象徴しているように、日本の外交は真に自立したものであるというよりは、特に最近はG2と稱されるこの二大國(guó)の動(dòng)きに翻弄されているのが実態(tài)だ。

では民間はどうかといえば、第2回でも指摘したように、中國(guó)の民主化問(wèn)題と日本の社會(huì)とをつなげて思考する回路はごく一部を除いて存在せず、一般的次元では最近の中國(guó)の経済的臺(tái)頭から來(lái)る焦燥感のゆえなのか、感情的な次元でのバッシングが目立つ。このように考えると、殘念ながら米國(guó)や臺(tái)灣ほどには中國(guó)の民主化支援をサポートしていくような「余?!工先毡兢摔蠚垽丹欷皮胜い韦扦悉胜い?、というのが筆者の個(gè)人的感想である。

△中國(guó)と臺(tái)灣の中産階級(jí)の違い

このほかにも興味深い質(zhì)問(wèn)や論點(diǎn)が展開(kāi)されたのだが、筆者が提起した論點(diǎn)に先に觸れさせていただきたい。臺(tái)灣海峽両岸に注目する筆者としては、中國(guó)の今後の民主化を考える上で臺(tái)灣の経験は參考にならないだろうか、という疑問(wèn)を提起した。「20年前の臺(tái)灣の経験で言えば社會(huì)運(yùn)動(dòng)とメディアの解放という形でいちおうの民主化が達(dá)成された?,F(xiàn)在は臺(tái)灣からの情報(bào)?人?モノさらには制度上の連鎖さえ見(jiàn)られる上、経済発展から民主化へというこれまでの東アジアにおける一般ルートに照らし合わせて言えば中國(guó)民主化の今後はそう悲観すべきものでもないのではないか」との質(zhì)問(wèn)を投げかけたのだが、これに対する王丹氏の答えは慎重なものであった。

それは擔(dān)い手としての雙方の中産階級(jí)の質(zhì)の違いに帰せられるという?!复_かに現(xiàn)在の中國(guó)でも民間レベルでのメディアが次々と出てきていて活況を呈している。しかし臺(tái)灣と中國(guó)の場(chǎng)合で最も違うのが、中産階級(jí)のあり方だ。臺(tái)灣はもともと資本主義、自由主義體制であり、擔(dān)い手としての中産階級(jí)は中小企業(yè)主が主體で、"國(guó)家"からの距離はある。それに対して現(xiàn)在の中國(guó)の中産階級(jí)はいわば國(guó)が資本主義をやっている"國(guó)家資本主義"のもとで勃興してきた存在で、"國(guó)家"との距離が臺(tái)灣よりもはるかに近い」と王丹氏は述べ、したがって中國(guó)が臺(tái)灣と同様の発展プロセスをたどるという可能性は低いのではないか、という見(jiàn)方を示唆した。

政治経済的な観點(diǎn)から両岸関係を見(jiàn)る人なら當(dāng)たり前の見(jiàn)方かもしれないのだが、文化的な次元から見(jiàn)ている筆者にとってはハッとさせられる指摘ではあった。確かに中小企業(yè)主が多く存在し"國(guó)家"からの距離が一定以上あった臺(tái)灣では民主化に向かう條件が整っていたといえるかもしれず、一方でこれに比べると中國(guó)大陸は整っていないといえるかもしれない。ただ、それにしても、2000年代以降の中國(guó)の動(dòng)きはどう見(jiàn)ても90年代以降の臺(tái)灣をトレースしているように筆者には思えるし、またこのように雙方の発展過(guò)程を切り離して別個(gè)に論じるのが王丹氏に限らず主流ではあるが、それだけでは複雑性に富む両岸関係を完全には説明できないのではないか、という疑問(wèn)は殘ったが…。

△「64」世代の流れを汲む「90後」世代

筆者の興味ばかり紹介してしまったが、會(huì)場(chǎng)では當(dāng)然この他にも様々な質(zhì)問(wèn)や論點(diǎn)が提起された。まず何よりも今後中國(guó)が民主化していくとすれば、15億人規(guī)模という人類未曽有の規(guī)模になるが、これは可能かという質(zhì)問(wèn)に対し、王丹氏は可能であるとし、これまでの中國(guó)近現(xiàn)代史の過(guò)程の中にその契機(jī)は何回か登場(chǎng)してきたとした。さらにこの質(zhì)問(wèn)に続け、(日本とも共通する問(wèn)題だが)今後の中國(guó)ではますます地方分権化は不可避ではないかとの質(zhì)問(wèn)が出た。これに対し、王氏は、これまでも中國(guó)で數(shù)度か構(gòu)想されてきた連邦制的なものとは違うとはした上で、省などよりさらにミクロなレベル、具體的には社區(qū)(コミュニティ)レベル、最終的には個(gè)人レベルまでの権力移譲を構(gòu)想していることに言及した。

こうした論點(diǎn)も面白かったのだが、筆者にとってより興味深かったのは、王氏ら「64世代」、つまり60年代中盤以降生まれで天安門事件の主な擔(dān)い手だった人々と、現(xiàn)代中國(guó)の若年層を意味する「80後」「90後」世代(それぞれ80年、90年以降生まれの意味)との差異である。多くの人が言っていることだが、王氏も「80後」については、ちょうど中國(guó)の改革開(kāi)放開(kāi)始直後に生まれ、その果実を存分に手にしてきた「おいしい」世代であるがゆえに比較的共産黨支持の傾向があるとした。しかし改革開(kāi)放に伴う急激な経済成長(zhǎng)のひずみをも目にしてきた「90後」世代には、「80後」と違い比較的共産黨批判の傾向も多く見(jiàn)られるのであり、ある意味自分たち「64世代」を継承していっているような面もある、と王氏はいう。この王氏の見(jiàn)方が當(dāng)たっているならば、「90後」世代が社會(huì)の中核になる10?20年後には天安門事件當(dāng)時(shí)ほど急激な形ではないにせよ、なんらかの社會(huì)変革が構(gòu)想、または実踐されている可能性もあるのではないか?

△いずれの日にかの一時(shí)帰國(guó)受け入れは?

こうした議論がかわされ2時(shí)間ほどはあっという間に経過(guò)したが、この間で改めて印象付けられたのは王丹氏の20年前とおそらく変わらぬ知的精力ぶりである。よく知られているように、天安門関係者は中國(guó)國(guó)內(nèi)には今のところ帰國(guó)は事実上不可能あるいは困難で、アクセスが制限されているにもかかわらず、王氏が中國(guó)國(guó)內(nèi)の狀況を詳細(xì)に把握していることが見(jiàn)て取れる。つまり20年前では考えられないほど、中國(guó)から海外への人的移動(dòng)が活発化し、それとともに情報(bào)というものも人の移動(dòng)にともなって動(dòng)いているのだということが逆に裏付けられるのである。

しかしだからこそ思うのは、彼ら天安門関係者が中國(guó)に帰國(guó)できる機(jī)會(huì)はもうないのか、ということだ。天安門関係者に限らず多くの知識(shí)人が20世紀(jì)以降中國(guó)を離れたが、その中には、いわば自らの思想的なリソースともいうべき中國(guó)の大地と中國(guó)の人々に觸れる機(jī)會(huì)を逸したがゆえに、知識(shí)人としては終焉を迎えた者も多い。そうした事例を知るゆえに天安門関係者もいずれの日にか中國(guó)に一時(shí)的にでも帰國(guó)できる機(jī)會(huì)があったほうがよい、と筆者は個(gè)人的に考える。

ただ中國(guó)當(dāng)局による天安門事件再評(píng)価の観測(cè)はいつもあり最近も流れていたが、現(xiàn)実にそうなる可能性は低そうではある。しかし中國(guó)が本當(dāng)に大國(guó)であるのなら、一時(shí)的にでも彼らの帰國(guó)を受け入れてみる、というのもその自信、度量を示す上で有効ではないかと思うのだが、どうだろう。

(本田親史/國(guó)士舘大アジア?日本研究センター客員研究員<PD>)

この記事のコメントを見(jiàn)る

ピックアップ



   

we`re

RecordChina

お問(wèn)い合わせ

Record China?記事へのご意見(jiàn)?お問(wèn)い合わせはこちら

お問(wèn)い合わせ

業(yè)務(wù)提攜

Record Chinaへの業(yè)務(wù)提攜に関するお問(wèn)い合わせはこちら

業(yè)務(wù)提攜