なぜ舊日本軍の戦車は豆戦車と呼ばれたか―中國メディア

Record China    2018年8月5日(日) 17時10分

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1日、鳳凰網(wǎng)は、なぜ舊日本軍の戦車は豆戦車と呼ばれたかについて分析する記事を掲載した。資料寫真。

2018年8月1日、鳳凰網(wǎng)は、なぜ舊日本軍の戦車は豆戦車と呼ばれたかについて分析する記事を掲載した。

記事は、「第2次世界大戦初期の日本の目標(biāo)が戦闘力で當(dāng)時の米軍の70%に達する海軍を建設(shè)することだった」と紹介。「島國である日本は制海権がないとすべてが終わってしまうためで、この目標(biāo)のために637隻の軍艦と多くの輸送船、7萬機以上の戦闘機を造った」と伝えた。

そして、「軍事力が海軍に偏ったため、陸軍の裝備はお粗末になった」と分析。「舊日本軍の陸軍は、歩兵銃と性能の劣った少量の機関銃で中國軍と戦う羽目になった」とした。

記事は「こうした現(xiàn)狀のため、九四式と九七式という2種類の『豆』戦車が中國での戦闘専用に設(shè)計開発された」と紹介しており、これは九四式軽裝甲車と九七式軽裝甲車のことを指しているようだ。記事は「九四豆戦車と九七豆戦車の主な目標(biāo)は戦場での偵察としての使用で、対戦車の任務(wù)を擔(dān)う戦車ではなかった。その主な攻撃対象は、機関銃と通常の軽裝歩兵の小隊で、裝甲強度を落としており、多くのピストルポートを設(shè)けて中國の対戦車決死隊に対応した」と分析した。

また、「一種の軽戦車として、裝甲は10~12ミリの厚さで、これは通常の中國部隊が使用する武器には十分に耐えることができた。しかも、機関銃と37ミリ砲を裝備し、榴弾を使用することで、中國のトーチカと機関銃の火點にとっては大きな脅威となった」と紹介?!篙X量な車體ゆえに輸送も簡単で、中國のさまざまな地形にも容易に対応できた」とした。

記事は「しかし、裝甲戦闘車両の攻撃を受けると、すぐに破壊されてしまう程度の防御力しかなかった」と指摘し、「そのため、日本の九四式と九七式は、本當(dāng)の意味で『豆』戦車となった」と結(jié)んでいる。(翻訳?編集/山中)

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