Record China 2018年8月13日(月) 9時(shí)10分
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河北省?易県には「自動(dòng)車の神様」が祭られる廟がある。地元の人もあまり知らないが、実はこの神様、2000年の歴史を持つ由緒ある神様なのだという。
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場(chǎng)所は河北省保定市の易県。古い歴史を持つことでも知られている地域だ。史記の刺客列伝の舞臺(tái)のひとつにもなっている。燕國(guó)の太子の願(yuàn)いを受け、秦王?政(後の始皇帝)の暗殺に向う荊軻(けいか)が、最後の別れの際に「風(fēng)蕭々(しょうしょう)として易水寒し。壯士ひとたび去りてまた還(かえ)らず」と、生還を期さない思いを歌った場(chǎng)所が、この易県とされる。
【その他の寫(xiě)真】
さて、現(xiàn)地の人が崇拝しているのが「奶奶(ナイナイ)」と呼ばれる女神だ。この場(chǎng)合の奶奶は、年配の女性のことだ。後に後漢の光武帝となる劉秀(紀(jì)元前5年~紀(jì)元57年)が敵に追われて逃げる際に農(nóng)婦にかくまってもらい命を救われ、「奶奶廟」を寄贈(zèng)したと伝えられている。
その後、地元の人はさまざまな奶奶様を作り、拝んできた?!缸邮冥堡文棠獭埂干虊婴文棠獭工胜嗓?。もともと奶奶様とはおひとりだけだったはず。新浪網(wǎng)によると、廟で働く人は「お願(yuàn)いごとの種類に対して足りないと思ったら、(奶奶様を)どんどんつけ加えた」と説明したという。どの奶奶様もふくよかな女性のお顔だ。記事は「説明がなければ、全く區(qū)別がつかない」と紹介した。
奶奶様の廟の近くには「車神」様を祭る廟もある。地元の人もその由來(lái)を知らず「あれは偽物。もともとなかった」と言う人もいる。ただし、奶奶廟の関係者は「れっきとした神様」と説明。本來(lái)は奶奶様の馬車の御者で、人々は馬車の安全を祈ってきたという。だから、「車神」様は本來(lái)、鞭を手にしていた。ただし、自動(dòng)車が普及すると、人々は「車神」様に自動(dòng)車交通の安全を祈るようになった。そのため、廟の壁には乗用車やトラックの絵が描かれ、ハンドルを握る「車神」様の像も作られるようになったという。
近年では廟を訪れる人が増えるにともない、地元に落ちる金額も大きくなった。廟がある村には約800世帯があるが、うち500世帯が奶奶廟と何らかの関係がある仕事をしている。地元は奶奶様のご利益(りやく)で経済的利益を得ることができ、貧困を脫することができたという。
衆(zhòng)人が認(rèn)める功績(jī)のあった人を神様にする點(diǎn)で、日本の神道と中國(guó)の民間信仰には似ている部分がある。一方で、神像もためらわず現(xiàn)代的にしてしまう點(diǎn)では、日本人の「伝統(tǒng)重視」と中國(guó)人の「現(xiàn)実重視」は異なっているかもしれない。(翻訳?編集/如月隼人)
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