もし甲子園を中國で開催したら―中國メディア

Record China    2018年8月23日(木) 17時(shí)10分

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22日、観察者網(wǎng)は「もし甲子園を中國で開催したら」とするコラム記事を掲載した。寫真は甲子園100回大會(huì)。

2018年8月22日、観察者網(wǎng)は「もし甲子園を中國で開催したら」とするコラム記事を掲載した。以下はその概要。

宿泊した大阪のホテルのテレビで、偶然野球の試合を放送しているのを見た。まだ幼さの殘る選手たち、熱狂するスタンド、興奮する解説者。友人に聞くと教えてくれた?!袱饯欷霞鬃訄@だよ」。日本各地の4000近い高校野球部が、全國頂點(diǎn)を目指す甲子園。今年は秋田の金足農(nóng)業(yè)が躍進(jìn)し、話題を呼んだ。中國でも人気のバスケ漫畫スラムダンク」を思い起こさせる快進(jìn)撃だった。

私は考えた。もし中國で甲子園のような野球大會(huì)を開いたら、どうなるだろう?ちょっと考えると、いくつもの「ダメ」が脳裏に浮かんだ。まず野球であることがダメだ。ルールが複雑で、説明しづらい。中國には高度なチームプレーを培う土壌もない。

さらに「いい結(jié)果に対するうまみ」がないのもダメだ。野球で勝って學(xué)校や教師の得になるか?放課後の練習(xí)もダメだ。スポーツで食べていけるのは一握りの人間だ。保護(hù)者に言わせれば、プロになれないならスポーツするなど時(shí)間の無駄だ。

賞をもらえないのもダメだ。試合に出たら大學(xué)入試で加點(diǎn)されるのか?特待生になれるのか?入試で得をしないのに、スポーツをする意味があるのか。その上レベルの問題だ。高校生の試合など見る人がいない。人気のサッカーですらそうだ。試合に行ったら商品券をもらえるわけでもない。いい成績(jī)を出したから都市部の戸籍をもらえるわけでも、上海に転學(xué)できるわけでもない。そんな狀況で誰が試合に參加し、試合を見るというのだ。

甲子園をめぐる日本の熱狂は、理想主義だ。中國の教育は現(xiàn)実主義に基づいている。私たち中國人が日本の「青春の熱血」に感動(dòng)するのは、彼らの物語を自分たちのこととして考えるのが難しいからなのだ。(編集?翻訳/大宮)

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