<海峽両岸ななめ読み>(7)「観光客はミタ」北京編1?巨大消費(fèi)空間の光と影

Record China    2012年8月12日(日) 9時(shí)45分

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北京は巨大であり、「世界都市」の一つとして機(jī)能し始めていると言っていいだろう。そんな巨大な都市であるがゆえに、3年も経つとまるっきり面目を新たにしているところばかりだった。寫真は王府井の街頭で住居立ち退きの不當(dāng)性を訴える老婦人。

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2012年8月上旬、筆者は3年ぶりに北京を訪れた。周知のように北京は巨大であり、中國(guó)の首都というよりはすでに「世界都市」の一つとして機(jī)能し始めていると言っていいだろう。そんな巨大な都市であるがゆえに、何回訪れても毎回が初めてのようなものであり、「勝手知ったるところ」と思って訪ねた地域も3年も経つとまるっきり面目を新たにしているところばかりだった。そんな北京の現(xiàn)在を2回にわたり素描する。寫真は王府井の街頭で住居立ち退きの不當(dāng)性を訴える老婦人。

その他の寫真

▽脫政治化が進(jìn)む市民生活

前置きばかり長(zhǎng)くなって恐縮だが、かつて日本では「中國(guó)にはハエ一匹いない」と信じられていた時(shí)代があった。ものの本によると自分が生まれる前後の頃だ。もちろんそんなはずはなく単に當(dāng)時(shí)の中國(guó)指導(dǎo)部が進(jìn)めていた革命事業(yè)が順調(diào)という意味で比喩的に使われてきた言い方だったのだろう。この比喩的な意味でなら、この「ハエ一匹いない」という表現(xiàn)は60年代ではなく、むしろ現(xiàn)在にこそ當(dāng)てはまるのではないか、と今回は実感した。

 

周知のように、中國(guó)の外部世界、ここ日本を含む主に西側(cè)では、中國(guó)をめぐる様々なテーマが繰り返し語(yǔ)られる。最近で言えば、薄煕來?前重慶市共産黨委員會(huì)書記の失腳と、秋の共産黨第18回大會(huì)への影響、その前にこの夏北戴河という避暑地で開かれているはずの指導(dǎo)部による會(huì)議、さらには人権活動(dòng)家の処遇などをめぐる米中関係、そして日本に関係することといえば例の尖閣諸島買い上げ案をめぐる問題などがそれである。

 

そのような"外部の喧騒"をよそに、北京で表面的に、日本と同様にスマートフォンの畫面に見入る市民や大膽になったカップルたちの行動(dòng)を見ている限り、見事に北京の市民生活は良くも悪くも脫政治化してしまっている。80年代、90年代に街中に展示されていた政治スローガンは、50年代の自己犠牲の象徴としてよく言及される雷鋒(中國(guó)人民解放軍の模範(fàn)兵士とされる)関連のものを除くとほとんど見られなくなった。そもそも中國(guó)の表象として扱われてきた自転車が激減し、代わりに急増した自動(dòng)車からでは、そのような數(shù)少ない政治スローガンも、目にするいとまもないだろう。

 

 文字通り、「ハエ」に象徴される衛(wèi)生的な次元も北京は大きく改善されたと思う。最も実感したのは公衆(zhòng)トイレがきれいになったことだった。ついたてのない「ニーハオトイレ」もまだあるにはあるが、そう多くはなく、今では大部分が水洗化されたものになり、しかも専門の係員を置くトイレが今や街の2―3區(qū)畫に一つは設(shè)けられている。ゴミが勝手に捨てられているところも依然あるにはあるが、清掃車と、高齢者を中心にしたボランティアがフルに活用されており、「ハエ一匹いない」という狀態(tài)ではないものの、それに近い狀態(tài)が保たれている。生活レベルの向上が著しい衛(wèi)生意識(shí)の向上をももたらしていることが手に取るように分かる。

 

 このように外部で色々と喧伝されることは置いてひとまず內(nèi)在的に観察すると、北京の一般市民レベルに限っては人々の生活は政治から離れ、ようやくのびのびと自分たちの暮らしを満?jiǎn)摔扦毪瑜Δ摔胜盲皮い毪瑜Δ艘姢à?。外部から見た限りでは北京では大衆(zhòng)消費(fèi)社會(huì)が急速に定著しつつあるようだ

▽拡大する地下鉄と郊外の開発進(jìn)展

 こうした大衆(zhòng)消費(fèi)社會(huì)の進(jìn)展と相乗効果をもたらしているのが、北京における地下鉄路線の拡張と、進(jìn)む郊外の開発だ。筆者が訪れたのはちょうどロンドン五輪の最中で、4年前に五輪を終えた北京では「通過儀禮」を終えたような感覚があったが、日本人である筆者からすれば、こうした鉄道路線の拡充や郊外開発の進(jìn)展は約50年前五輪を終えたばかりの東京もこんな感じだったのではないかと思われるところがある。

 

 3年前の五輪終了直後の時(shí)點(diǎn)ですでにそうだったのではあるが、當(dāng)時(shí)よりもさらに地下鉄の拡張は進(jìn)行し、現(xiàn)時(shí)點(diǎn)ではすでに13本を數(shù)える。さらに現(xiàn)時(shí)點(diǎn)で「15號(hào)線」があるところを見る限り、近い將來には15本以上になることは確実だ。北京では地理を説明する際に環(huán)狀道路を用いて説明することが多いが、ざっとした感覚で言えば、山手線のように環(huán)狀線になっている地下鉄2號(hào)線がおおむね北京の中心部を走る「二環(huán)」に相當(dāng)するのではないかと思う。そのほか中関村、北京大學(xué)、人民大學(xué)、國(guó)家図書館をつなぐ地下鉄4號(hào)線がいわば北京のみならず中國(guó)全土にとっての頭脳を結(jié)ぶ生命線的な役割を持つなど各自に特色があるが、今回実感したのは地下鉄がいかに郊外まで拡張してきているかという點(diǎn)だった。

 

 今回筆者は、北京市外の出身者が大量に雑居していると伝えられていた豊臺(tái)區(qū)の大紅門地域まで地下鉄と一部バスを乗り継いで行ってみたのだが、數(shù)年前の記述と違ってそのあたりも大きなショッピングセンターが立ち並ぶようになり、いわゆる記述通りの風(fēng)景に出會(huì)うには、そこからバスで2-3停留所先に行かなければならなかった。そういう體験からしても、また地図上からの判斷でも、北京市內(nèi)の地下鉄は環(huán)狀道路で言うところでは、三環(huán)部分はおろか、四環(huán)、五環(huán)あたりまで伸びているといってもよいのではないか。

 

 ちなみにこれだけ地下鉄が発達(dá)してくると、たいてい北京中心部ならば地下鉄の乗り換えだけで十分でバスを使う必要はなくなっている。一見ラクなようだが、実は結(jié)構(gòu)乗り換えには時(shí)間がかかりそうラクではなかった。一つには古い路線ほど駅が深く作られているせいもあるのではないか? もっと言えば冷戦の現(xiàn)実化を危懼した毛沢東の戦略思想が反映されているのではないか―そんな疑問を口にしたところ、現(xiàn)地で知り合った臺(tái)灣系華人に一笑に付された。「バカな! あんたのところの新宿や渋谷だって十分乗り換えしにくいよ」。うーん、地下鉄の古い路線にはあるいは自分の推察は當(dāng)てはまるところもなきにしもあらずかもしれないが、新しい路線については深読みしすぎだったかもしれない。

▽旅行ブームと消費(fèi)空間の「裂け目」

 それはともかく、今回こんなに北京の地下鉄が混雑し乗り換えしにくかったのは、今中國(guó)も夏休み中で全土からのおのぼりさんも北京に集結(jié)していたせいではないかと筆者は睨んでいる。中華圏の旅の楽しみは、日本人としての自分の存在を消し、どれだけ中國(guó)人になりきるかが勝負(fù)と筆者は思っているフシもあるが、その狙いが功を奏したのか、何度もおのぼりさんらしき人から道を聞かれることがあった。まさしく北京などの大衆(zhòng)消費(fèi)社會(huì)が中國(guó)全土に広がるきっかけになりうるのがこうした人々だろうが、一方で筆者はそうした人々でにぎわう繁華街で消費(fèi)空間の「裂け目」をも目撃することにもなった。

 

 旅行ブームを?qū)g感したのは市內(nèi)の書店と、北京大學(xué)でのことだった。市內(nèi)の書店には中國(guó)全土はおろか、徐々に自由に行けるようになってきている臺(tái)灣、さらには日本、特に東京、歐米までのガイドブックが品揃えされ、黒山の人だかりができている。まさしく日本國(guó)內(nèi)でも東京五輪後しばらくして海外旅行などが自由化されたことを彷彿とさせる風(fēng)景だ。

 

 さらにもっとすごかったのは北京大學(xué)での光景だった。地下鉄がこの近くまで伸びたので駅を降りてみると、東門橫には各地からの団體観光客が押し寄せており、大學(xué)としては事前申請(qǐng)のあったツアーのみ制限付きで受け入れているようで検問が実施されていた。付近の書店に用のあった筆者は東門から正門へ抜けようと関係者を裝って入構(gòu)しようとしたのだが呼び止められ、警備員から「分かってくださいよ」という感じで説得されてやむなく回り道した。まああの黒山の観光客を前にすれば仕方のない対応だったろう。

 

 ただそんな中でも筆者は、進(jìn)行する消費(fèi)社會(huì)の中での「裂け目」とでもいうべき光景を目撃したので報(bào)告したい。中國(guó)全土からのおのぼりさんが終結(jié)する王府井大街を歩いていた時(shí)のことだ。鍋らしきものを叩く音が響き、ちょっとした人だかりができているところがあったので野次馬よろしく駆けつけてみたところ、鍋と金屬食器を叩いていたのは、意外にも一組の老夫婦だった。

 

 著ていたTシャツに書かれていた文章を読む限り、望まない形での住居立ち退きを余儀なくされたものの、地域自治體當(dāng)局は代わりの住居を用意してくれず、自分たちには新しい住居を購(gòu)入するだけの経済的余裕もない、ということのようだ。

 

 中國(guó)では庶民が當(dāng)局に直接直訴する「上訪」(陳情)を行う人が増えており、それもかなわなかった人たちがこうして街なかで公衆(zhòng)に訴える手段を取ることがあるとは聞いていたが、直接目撃したのは初めてだ。こうしてTシャツで自らの主張をするだけで大聲を上げるわけでもなかった老夫婦と、それを取り囲む観光客たちのきまり悪そうな眼差し―今の中國(guó)都市部における消費(fèi)空間の光と影が凝縮された光景だったと思う。

(本田親史/國(guó)士舘大アジア?日本研究センター客員研究員<PD>)

 

●寫真1枚目=王府井の街頭で住居立ち退きの不當(dāng)性を訴える老婦人、2枚目=北京大學(xué)に押し寄せる団體観光客。

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