韓國で明朝の使者が殘した書が國寶に指定、中國メディア「最も親しい藩屬國と見なされていた」

Record China    2018年8月25日(土) 23時30分

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韓國政府は23日、朝鮮を訪れた明朝の使者が殘した「奉使朝鮮唱和詩巻」を國寶に指定した。中國メディアは當(dāng)時の狀況を「明朝は朝鮮を最も親しい藩屬國と見なしていた」などと紹介した。寫真は「奉使朝鮮唱和詩巻」と作者である倪謙を描いた絵。

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8月23日、中國メディアの海外網(wǎng)は、韓國政府が同日、明朝の使者が書き、現(xiàn)在は韓國國立中央博物館が所蔵している詩文を記した書を國寶に指定したと報じた。中韓関係史は、日清戦爭の講和條約である下関條約(1895年)で、清國が「朝鮮國が完全無欠なる獨(dú)立國」であることを認(rèn)めるまで、現(xiàn)在の韓國人にとっては相當(dāng)に屈辱的なものだったはずだが、國寶指定には影響しなかったようだ。

その他の寫真

國寶に指定されたのは「奉使朝鮮唱和詩巻」と題された詩文が書かれた書で、全長が16メートルある。書いたのは明朝7代皇帝の景泰帝の使者として1450年に朝鮮を訪れた倪謙。倪謙は有名な詩人でもあり、「奉使朝鮮唱和詩巻」は朝鮮の文人とやり取りした37篇の詩が書かれている。當(dāng)初は裝丁されたが、清時代に中國に持ち込まれ、1枚の書に作り直された。韓國に戻ってきたのは1958年という。

海外網(wǎng)によると、韓國メディアは「中韓両國の文化交流の象徴であり、書道史の研究材料としても重要な意義がある」と報じたという。

海外網(wǎng)は當(dāng)時の中韓関係について「明朝は朝鮮を最も親しい藩屬國と見なし、朝鮮側(cè)は明朝の宗主國の地位を認(rèn)めた。朝鮮は常に、定期的または不定期に明朝に使いを出して朝貢させ、謝恩や挨拶、祝賀、明朝皇帝の言葉を仰ぎ、突発事件が発生した場合には報告した。明朝側(cè)は時折、朝鮮に使者を派遣し皇帝の言葉を伝えたり、政治における調(diào)整を行った」と紹介した。

海外網(wǎng)はそれ以上詳しくは紹介していないが、朝鮮は當(dāng)時、現(xiàn)在風(fēng)の言い方をすれば中國の屬國だった。中國の皇帝を「全世界の支配者」と認(rèn)めていたので、獨(dú)自の年號を持つことはできなかった。中國からの使者は皇帝の代理人なので、皇帝に対するのと同等の「禮」が求められた。

例えば朝鮮國王は中國からの使者を迎える際に、ソウル近郊に建てられた迎恩門に出向いて、三跪九叩頭の禮(土下座をして額を地面に3回打ち付けて起立。同じことを計(jì)3回繰り返す)をせねばならなかった。なお、下関條約で清朝が朝鮮の完全獨(dú)立を認(rèn)めたことを記念して、迎恩門の近くに「獨(dú)立門」が設(shè)けられた。

歴史的な中韓関係は現(xiàn)在の韓國人にとっては相當(dāng)に屈辱的と思われるが、「奉使朝鮮唱和詩巻」の國寶指定に際しては、純粋に文化財(cái)としての価値だけが判斷材料になったようだ。(翻訳?編集/如月隼人

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