日本建築の特徴はつまるところ何か?―中國(guó)メディア

人民網(wǎng)日本語(yǔ)版    2018年8月30日(木) 5時(shí)50分

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不動(dòng)産大手?森ビル株式會(huì)社はこのほど日本建築學(xué)會(huì)、日本建築家協(xié)會(huì)、日本の5大建設(shè)會(huì)社などと共同で、展覧會(huì)「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの」を開(kāi)催中だ。寫(xiě)真は東大寺。

日本建築は伝統(tǒng)の継承、東西文化の融合、省エネ?環(huán)境保護(hù)などの面で非常に高く評(píng)価されている。だが日本建築の特徴はつまるところ何かと問(wèn)われれば、よくわからないというのが正直なところだ。不動(dòng)産大手?森ビル株式會(huì)社はこのほど日本建築學(xué)會(huì)、日本建築家協(xié)會(huì)、日本の5大建設(shè)會(huì)社などと共同で、展覧會(huì)「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの」を開(kāi)催中だ。雑誌「環(huán)球」が伝えた。

■可能性としての木造

展覧會(huì)の會(huì)場(chǎng)は六本木ヒルズ森タワー53階にある森美術(shù)館。場(chǎng)內(nèi)に足を踏み入れると、木組のスクリーンが出迎えてくれる。2015年のミラノ國(guó)際博覧會(huì)日本館のために制作されたインスタレーション「木組インフィニティ」のレプリカで、第1セクション「可能性としての木造」はここから始まる。

木組とは、釘や接著剤を使わず、木材同士をはめ込んでつなげ固定する技術(shù)。中國(guó)古代の建築で幅広く利用されたもので、日本でも中國(guó)由來(lái)であることは知られている。ただ日本では木や木造建築は信仰の対象になった。國(guó)土の70%が森林である日本には「木魂」(こだま)という言葉があり、字の通り樹(shù)木に宿る精霊を指す。

木組スクリーンの向こうには、有名な奈良の東大寺南大門の架橋模型がある。日本の有名建築家?安藤忠雄氏は以前、「東大寺を見(jiàn)た時(shí)の感動(dòng)と驚きが建築の道に進(jìn)んだ原點(diǎn)」と語(yǔ)った。模型をみると、南大門の軒を支えるのは挿肘木(さしひじき)を6段に組んだ六手先(むてさき)構(gòu)造で、これを水平材の通肘木(とおしひじき)がつないでいる。柱は18本あり、端の數(shù)本は扇狀に配置され、柱間からは支持材の中備(なかぞなえ)の遊離尾垂木(ゆうりおだるぎ)が伸び、軒の荷重を分散する。こうした木造の構(gòu)造により、東大寺南門は鎌倉(cāng)時(shí)代から800年もの間、數(shù)々の大きな地震を耐え抜き、今もなお堂々とした姿でそびえ立つ。

このセクションには東大寺のほか、木造文化のもう1つの傑作といえる日光?東照宮の五重塔の模型も展示される。五重塔は「心柱(しんばしら)の耐震性」を利用した構(gòu)造で相當(dāng)の耐震性能を?qū)g現(xiàn)した。模型をみると、塔の中心に懸垂式の心柱があり、4層目から鉄鎖でつり下げられて、礎(chǔ)石の上に宙づりになっている(もともと木の心柱の最下部が礎(chǔ)石から約10センチメートルのところで宙に浮くようになっていた)。心柱は屋根を固定し、地震が起きると「振り子」になって、橫揺れと縦揺れの振動(dòng)をうまく逃がす役割を果たす。心柱による制震技術(shù)は日本一高い建築物?東京スカイツリーにも応用されている。

■超越する美學(xué)

第2セクションは「超越する美學(xué)」で、もののあはれ、陰影禮賛、無(wú)常といった美意識(shí)が日本建築の歴史に綿綿と受け継がれてきた様子を紹介する。第1セクションよりもさらに日本的特徴が現(xiàn)れたセクションだといえる。

初めに登場(chǎng)するのは伊勢(shì)神宮正殿(內(nèi)宮)で、直線的な外観を特徴とする「神明造(しんめいづくり)」の様式で造営されたものだ。古代の日本人は「うつくし」という言葉で柔和な美しさ、清らかな美しさを表現(xiàn)し、伊勢(shì)神宮はその代表とされる?!干衩髟臁工铣鲭?yún)大社を代表とする「大社造(たいしゃづくり)」や住吉大社を代表とする「住吉造(すみよしづくり)」とともに日本最古の神社の建築様式であり、また後の二者が曲線の美しさを特徴とするのと異なり、極めて簡(jiǎn)素で直線的な造形美と素木(そぼく、しらき)の美しさを最も際立たせた建築物だといえる。模型をみると神明造の構(gòu)造の特徴を直感的に理解することができる。礎(chǔ)石はなく、柱だけで屋根を支える掘立式だ。

礎(chǔ)石がない建築は脆弱で長(zhǎng)くもたないのではないかと思われるが、日本人は定期的に社殿を新たに造営する「遷宮」によって神宮造の建築様式を維持?伝承し、木材のきめの細(xì)かさと新しさを保ち、ヒノキの香りとかやぶき屋根の輝きを失わないようにしてきた。伊勢(shì)神宮は約1300年前に造営され、遷宮は「皇家第一の重事、神宮無(wú)雙の大営」と稱され、20年に1度行われる。2013年に第62回目が行われ、「無(wú)?!工取赋¥胜胄陇筏怠工韦悉钉蓼扦猡韦韦ⅳ悉欷趣趣长筏à趣蝮w現(xiàn)してきた。

このセクションのもう1つの重要な展示物は鈴木大拙記念館の模型だ。鈴木大拙は日本の禪文化を海外に広く伝えた仏教學(xué)者。伊勢(shì)神宮正殿が構(gòu)造と素材によって柔和さともののあはれの美を體現(xiàn)するものなら、鈴木大拙記念館はその建物で禪の世界を體現(xiàn)する。

■安らかなる屋根

第3セクションは日本建築の屋根がテーマだ。日本人は屋根を極めて重要なものととらえ、機(jī)能性と象徴性が共に備わり、個(gè)と共同體を調(diào)和し、內(nèi)部と外部を仲立ちするものとしてきた。安心感を與え守ってくれるものでもあった。

このセクションの最重要の展示物は1964年の東京五輪の2大會(huì)場(chǎng)となった國(guó)立代々木競(jìng)技場(chǎng)と日本武道館の屋根だ。模型と航空寫(xiě)真がなければ、この2大建築の屋根の全貌はなかなかうかがい知ることは出來(lái)ない。

武道館の屋根は青銅色をした正八角形で、屋根のカーブは富士山を模している。武士道の精神を表した、純?nèi)毡撅L(fēng)の建築物だ。

代々木競(jìng)技場(chǎng)は現(xiàn)代建築で、日本の建築家として世界で最も早く名を知られた丹下健三氏が設(shè)計(jì)した。ワイヤーロープによる「吊り屋根構(gòu)造」が有名で、「一體感」が強(qiáng)く打ち出されている。この一體感はシェル構(gòu)造で、3つの施設(shè)を覆い一體化させた屋根によって醸し出されるものだ。実際の屋根の材料は厚さ4.5ミリメートルの鉄板で、2本の主柱とワイヤーで吊り橋のように吊り下げられている。

■建築としての工蕓

「工蕓」も日本建築の遺伝子の1つであり、この根源は日本文化が持つ自然を抽象化する意匠のセンスと高度な匠の技にある。

「観念が全體を統(tǒng)率する」という理念が西洋から持ち込まれる以前の日本には、細(xì)部を極め、「部分が説得力のある全體をつくる」という考え方があった。このセクションには、今展覧會(huì)の最大の目玉の一つ、日本の茶道文化の始祖とされる千利休の茶室「待庵」(たいあん。京都)の原寸再現(xiàn)が展示される。待庵は國(guó)寶で、現(xiàn)存する日本最古の茶室建造物であり、利休の「侘び」(枯淡?靜寂の境地)の思想を空間に落とし込んだ代表的建造物でもある。

待庵の外観は寄棟造(よせむねづくり。4方向に傾斜する屋根面をもつ屋根形式の一つ)に切妻造(きりづまづくり。屋根の最頂部の棟から地上に向かって2つの傾斜面が本を伏せたような山形の形狀をした屋根形式の一つ)を加えた複合型の屋根形式が採(cǎi)用され、こけら葺き、ミネラルウォーターのボトルほどの太さの原木2本が軒を支えて、象徴的な役割も果たしている。再現(xiàn)された待庵は枯山水の玉砂利の上に鎮(zhèn)座し、かがまなければ通れないにじり口が幽玄の世界へと私たちを誘う。斜面と直線からなる天井は畳2畳分くらいしかない茶室を狹く感じさせない。ぜいたくな裝飾を排除し、簡(jiǎn)素を極めたこの空間には、「少にして多、簡(jiǎn)にして豊」の境地が広がる。(提供/人民網(wǎng)日本語(yǔ)版?編集/KS)

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