Record China 2018年9月16日(日) 22時50分
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新華通信社は16日、習(xí)近平國家主席がロシアで行った演説を紹介し、「鮮血で固めた友情は固く、決して壊れない」などと論じた。寫真はモスクワで演説する習(xí)主席、ソ連空軍志願隊を率いて日本軍と戦い戦死したクリシェンコ隊長、獨ソ戦を取材し中國に紹介した胡済邦記者。
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中國國営?新華通信社は16日、「ロシアで習(xí)近平が語った昨日と今日の物語を聞け」と題する論説を発表した。習(xí)近平國家主席がロシアで行った演説の中で觸れた「戦友」の物語を改めて紹介し、「鮮血で固めた友情は固く、決して壊れない」などと論じた。
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論説はまず、習(xí)近平國家主席は就任以來、何度もロシアを訪れていると紹介。第4回東方経済フォーラム、ソチ冬季五輪、赤の広場での軍事パレード、さらにロシアのテレビ局の取材を受けた際などでも、習(xí)主席は「感動的なエピソードを好んで語る」として、これらのエピソードこそ、中ロ両國の友好的な往來の生きた例であり、「昨日と今日の両國関係の宿営であり、両國人民の友情は永遠に続く」などと主張。さらに、「鮮血で固めた友情は固く、決して壊れない」などと論じた。
論説は習(xí)主席がロシア訪問中の演説で言及した人物としてまず、日中戦爭時に中華民國空軍を支援したソ連空軍志願隊(実際には派遣軍)を率いたクリシェンコ隊長を紹介。クリシェンコ隊長は最後の空戦で日本軍機6機を撃墜したが、自らも負傷して重慶市近くの長江に不時著したが機から脫出できず戦死したとされる。
論説が次に紹介したのは中國人民解放軍の唐鐸少將だ。唐少將は若い時代に勤労留學(xué)生としてフランスに派遣され、航空機製造技術(shù)を?qū)Wび、さらに操縦も學(xué)んだ。いったん帰國してからソ連に留學(xué)し、そのままソ連軍に入隊した。1941年に獨ソ戦が始まると、當(dāng)初は航空學(xué)校の教官などを務(wù)めたが、航空機を操縦して地上攻撃作戦などに繰り返し參加。敵の攻撃により同乗者は累計3人が重傷、1人が戦死、1人が軽傷を負ったが、唐氏は負傷を免れ、撃墜されることもなかった。中國に帰國したのは53年で、航空分野やミサイル、核攻撃に対する防御などの分野で功績を上げた。83年に80歳で死去。
論説は最後に、女性でありながら従軍記者として獨ソ戦を取材して多くの記事を執(zhí)筆した胡済邦氏も紹介した。胡氏の活動を通じて、ソ連の軍民が命を懸けてドイツと戦う壯烈な情景が、中國に紹介されたという。
記事は、「中ロ両國の人民の友情には、不斷に新たな章が書き加えられている」と主張。2013年3月に習(xí)近平主席がモスクワで行った演説中にある「國の交わりは民の親しみの上にある。人民の深い友情は國家関係を発展させる力の源泉だ」といった言葉を引用した。
記事はさらに、中華人民共和國建國初期にソ連から派遣された多くの専門家が中國の國家建設(shè)に貢獻し、習(xí)主席も15年5月に訪ロした際には専門家と遺族の代表と面會して、「水を飲むときには井戸を掘った人のことを忘れない」などと述べ感謝の意を示したエピソードなども紹介した。
14年のクリミア危機以來、米ロは緊張した関係を続けている。一方で中國にとって、米國でトランプ政権が成立して以來、経済関連を中心に米國との緊張が高まっている。長い國境を持つ大國である中ロは、潛在的には対立?対抗の局面に至りやすい二大國だが、現(xiàn)狀では米國を牽制するためにも接近した方が雙方にとって得策ということになる。(翻訳?編集/如月隼人)
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