今に伝わるローマ帝國(guó)軍の「落武者伝説」―甘粛省永昌県者來(lái)寨

Record China    2007年3月17日(土) 1時(shí)57分

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今に伝わるローマ帝國(guó)軍の「落武者伝説」。小さな村に青い目の住民たちが暮らす甘粛省永昌県者來(lái)寨(しゃらいさい)。

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2007年3月8日、レコードチャイナのカメラマンが蘭州大學(xué)歴史科の教授陣に同行し、後漢書(shū)に出てくる「驪靬(れいけん)城」があったとされる甘粛省永昌県者來(lái)寨に入った。

その他の寫(xiě)真

2006年10月9日に、2千年前に失蹤したローマ帝國(guó)軍の末裔がこの地に暮らしていると報(bào)道されたのを機(jī)に、ローマ軍が紀(jì)元前53年パルティア軍と激しくぶつかったカルラエの戦い中に失蹤した第一軍隊(duì)が東方へ移動(dòng)する際に匈奴に捕まり、その後、前漢軍の捕虜になって「驪靬城」に定住したという説が発表された。

2000年を隔てた今でも、この地では西洋人の身體的特徴を持つ住民に出會(huì)うことができる。300人あまりの村で、その3分の1に、背が高く、彫が深い顔立ち、赤みがかった肌に茶色の髪といった特徴が見(jiàn)うけられる。

働き盛りの大半が出稼ぎで外地へ出て行くため、屈強(qiáng)なローマ戦士を思わせる若者に出會(huì)うことはできなかったが、生活の中では異國(guó)の風(fēng)習(xí)が脈々と伝えられている。

正月には小麥粉で「牛の鼻」と呼ばれるパンを作って供えたり、牛を放牧する際に好んで牛同士の角を突き合わせる風(fēng)習(xí)なども古代ローマの闘牛を思い起こさせる。

村の中央に古代の城壁の一部が殘っていることからも、ここが「驪靬城」との説が有力で、ローマ軍が定住した地であると有力な証拠だと歴史學(xué)者は指摘している。

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