Record China 2012年9月29日(土) 9時(shí)39分
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「反日」デモの嵐は、中國(guó)側(cè)の様々な問(wèn)題點(diǎn)を改めて浮き彫りにした。中國(guó)にはいろんな問(wèn)題があるというのはもはや既知の前提だ。そんな前提を分かっていながら対応できていない日本外交の不在を問(wèn)題にしたい。寫(xiě)真は北京市內(nèi)の新聞スタンドのファッション誌。
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2012年9月中旬に吹き荒れた「反日」デモの嵐は、確かに中國(guó)側(cè)の様々な問(wèn)題點(diǎn)を改めて浮き彫りにした。しかし中國(guó)にはいろんな問(wèn)題があるというのはもはや既知の前提だ。筆者としてはそんな前提を分かっていながら対応できていない日本外交の不在を問(wèn)題にしたい。
【その他の寫(xiě)真】
▽中國(guó)の問(wèn)題點(diǎn)は既知の前提ではないのか
9月中旬日本國(guó)內(nèi)で繰り返し流布された中國(guó)「反日」デモの映像は確かに衝撃的であった。今回看過(guò)できないのは、18回共産黨大會(huì)前の権力闘爭(zhēng)であるにせよ、日本への打撃を念頭に置いたものであるにせよ、中國(guó)當(dāng)局の半ば公然とした関與が従來(lái)よりも明確に指摘されていることだ。いろんな説があるが13億人のうちの一部とはいえ、新自由主義下での若い多數(shù)の敗者たちに、中國(guó)において唯一タブーのない「反日」という餌が投げ込まれたのを當(dāng)局が黙認(rèn)したのは確かだろう。とすれば、かりに筆者が中國(guó)に甘いところのある人間だとしても、積極的に弁護(hù)はしきれない。だが今回顕在化した問(wèn)題點(diǎn)は以前から既知の問(wèn)題點(diǎn)であり、にもかかわらず前線(xiàn)でこれを制御すべき人たちは一體何をしていたのだ、と思わざるを得ない?!?/p>
第1回で指摘したように、中國(guó)は今ようやく近代以前の中華世界秩序から、近代以降の國(guó)際関係の基準(zhǔn)である國(guó)民國(guó)家體制へと移行しつつあるように思われる。だが、中國(guó)の問(wèn)題點(diǎn)はその過(guò)程で、近代以前の王朝の版図をそのまま國(guó)民國(guó)家へと転換しようとしていることだ。必然的にその境目では摩擦が起こるのだがその制御のためにどれだけの知恵が今回動(dòng)員されたのか? こちらは近代以降の國(guó)際関係の體系で動(dòng)いているとしても、あちらはそうではない體系で動(dòng)いているのだ。とすればこちらとしては、性善説ではなく性悪説で動(dòng)かなければならない。この場(chǎng)合、性悪説とはむやみに強(qiáng)硬に動(dòng)くことではなく、逆に表面的には摩擦を避けながら主張すべきところは主張できるようにしておく、ということである。
我々にとっての悲劇は、このような論理を持たない政権?外交當(dāng)局を有してしまったことにある?!?/p>
▽功労者の苦労を無(wú)にする2つの失策
そもそも今年2012年は日中國(guó)交正?;?0周年という節(jié)目の年であるにもかかわらず、日本國(guó)內(nèi)にはその機(jī)運(yùn)は盛り上がってないことを筆者はこの連載の2回目で指摘しておいた(ただ今回記念式典さえ行われなくなる事態(tài)まではさすがに想定しなかったが…)。こういう時(shí)期だからこそ係爭(zhēng)問(wèn)題はせめて今年が過(guò)ぎるまで棚上げを続けておこうと考えるのが、雙方ともに外交上の知恵ではないのか? 先にも述べたように中國(guó)側(cè)の問(wèn)題性を既知の前提とすると、次に日本外交の不在を問(wèn)題にせざるを得ない。この際、個(gè)々の行為者の知られざる努力についてはあえて捨象する。歴史的?構(gòu)造的な問(wèn)題もあるが、この間の事態(tài)に限って言っても、批判點(diǎn)として2つの事態(tài)における行動(dòng)の取り違えを
指摘できる。
一つは丹羽?前中國(guó)大使の公用車(chē)に掲げられた日本國(guó)旗を奪取した容疑者を中國(guó)が比較的早く拘束はしたものの、行政処分という、國(guó)際的にはほとんど考えられないほどの軽い処分で済ませてしまったことに対する対応である。この時(shí)日本側(cè)は、當(dāng)然抗議は行ったものの、中國(guó)側(cè)が処分を変えるほどの効果はなかった。しかしこの行政処分という判決は、反日関係者を罰すれば自らに火の粉が及びかねないという中國(guó)の事情を考えても、國(guó)際的には軽すぎる。これを唯々諾々と受け入れることは、日本は法的秩序を守る近代國(guó)家ではなく華夷秩序の一角を占める地域にすぎないと自ら認(rèn)めているようなものだ?!溉毡兢蠑閲?guó)である」ということならば、だからこそ、せめて容疑者に國(guó)際的にも納得しうる判決が出るまでは、例えば尖閣上陸者の拘束を引き伸ばすなどで何らかの取引に出るべきであった。この件に関しての無(wú)策は明らかに外交上のスキを中國(guó)側(cè)に與えてしまったと考える。
それとはむしろ逆に極度に慎重にあってほしかったのが、すでに指摘されているように「國(guó)有化」に至るプロセスだ。周知のように発端は、石原慎太郎知事が首長(zhǎng)を務(wù)める東京都が購(gòu)入の意向を示したことにあり、慌てふためいた日本政府が東京都の暴走を封じ込めるために取った措置ではあるだろう。しかしその経緯に対する理解は中國(guó)側(cè)に共有されるどころか逆に彼らを刺激してしまった。中國(guó)側(cè)から見(jiàn)れば、「國(guó)有化だけは避けてくれ」と申し入れた二日後のことであり、しかもそれが柳條湖事件記念日の一週間前に當(dāng)たる11日だったことを考えれば、日本は虎の尾を踏んでしまったことになる。第三者として観察している限り、この間の日本外交の動(dòng)きは素人以下にしか見(jiàn)えない。民主黨政権?外交當(dāng)局としては表面上東京都の動(dòng)きは放置しているように見(jiàn)せつつ、國(guó)有化「宣言」についてはもっと慎重に中國(guó)側(cè)と交渉しつつ可能なら回避すべきではなかったか? 40年前、國(guó)交回復(fù)のために盡力してきた數(shù)々の先人の努力はたった二晩で水泡に帰した。彼らは草葉の陰で泣いていることだろう
以上のこの2點(diǎn)は、技術(shù)的な次元でどうしても避けられなかったとする弁明もあろう。しかしより長(zhǎng)期的なスパンで見(jiàn)ても、日本外務(wù)省は、中國(guó)において「反日」が社會(huì)的なはけ口に使われないような努力をしてきただろうか? アニメやJPOPといったサブカルチャー頼みだけでよしとしていたのだとするとそれはあまりに甘い。今回のデモの主體はそんなサブカル志向の「90後」(90年代以降生まれの若年層)であり、この戦略はまるで効果がなかったことが明らかになったからだ。
▽先行例としての「趙微事件」は參照しなかったのか
90年代に、當(dāng)時(shí)の江沢民國(guó)家主席主導(dǎo)の愛(ài)國(guó)教育が始まった時(shí)點(diǎn)でこうした事態(tài)は予見(jiàn)できなかったとはいえない。この時(shí)期ソ連が崩壊し米國(guó)の一人勝ちになった時(shí)點(diǎn)から今回の事態(tài)の遠(yuǎn)因となる新自由主義の勃興は予想可能だったはずである。新自由主義は常に勝者、敗者を作り出すわけで、権力闘爭(zhēng)を大衆(zhòng)動(dòng)員して行ってきた社會(huì)で、常に敗者が運(yùn)動(dòng)に動(dòng)員される構(gòu)図は予見(jiàn)できたはずだ。厳しい選抜を経ているはずの日本外務(wù)省がこれを予想できなかったとしたら我々はなんのために稅金を払っているのか?
これを責(zé)めるのは酷だとしても、2000年代初頭には既に今回の事態(tài)のひな形は登場(chǎng)しており、その時(shí)點(diǎn)で予防外交に走らなかったことは責(zé)められるべきだろう。2001年後半以降、中國(guó)國(guó)內(nèi)で発生した「趙微事件」という事件がある。これ以前にも「反日」世論は巧妙に操作されてきたが、事実上初めてネット世論が動(dòng)員された點(diǎn)では特筆すべき事例である。
「趙微事件」とは2001年9月にファッション誌「時(shí)裝」に、當(dāng)時(shí)人気絶頂にあった女優(yōu)?歌手の趙微が戦前の日章旗を模したようなシャツを著た寫(xiě)真が掲載されたことが発端。當(dāng)時(shí)は中國(guó)國(guó)內(nèi)にインターネットが定著し始め2001年1月時(shí)點(diǎn)で使用者は2000萬(wàn)人強(qiáng)に達(dá)していたが、趙微は浸透し始めていたネット世論により「売國(guó)奴」などといった強(qiáng)烈なバッシングを受けることになったのである。
ここで想起すべきは中國(guó)國(guó)內(nèi)におけるメディア統(tǒng)制の継続性である。中國(guó)當(dāng)局のメディア統(tǒng)制はインターネット導(dǎo)入以降も引き継がれ、より巧妙な世論操作が展開(kāi)されている?!岗w微事件」に関して言えば、趙微に対する強(qiáng)烈なバッシング世論は中國(guó)當(dāng)局が強(qiáng)制削除しようと思えばできたはずであるが、この事件當(dāng)時(shí)も「反日」についてはあえて放置することで世論構(gòu)築を有利にする「放置による管理」がなされたことが重要である。この時(shí)期、ネット空間に當(dāng)時(shí)まだ存命中だった趙紫陽(yáng)?元共産黨総書(shū)記への復(fù)活待望論が現(xiàn)れては當(dāng)局が削除していた事態(tài)とは対照的だったといえるだろう。
「趙微事件」に関しては、その後バッシングもやりすぎだとする反省的な意見(jiàn)が出るようになった後、フェードアウトしていった。そして、ほとぼりが冷める頃、趙微の自己批判とともに、この事態(tài)そのものが地方の道徳教科書(shū)に反面教師的な意味合いで教材として採(cǎi)用されることで幕を引くことになったのである。筆者はこの事態(tài)について03年に拙い論文を発表している。日本外務(wù)省くらいの組織であればこの程度のものも網(wǎng)羅しているものと思っていたが、それは筆者の思いあがりだったようだ。東アジアにおいては、國(guó)家?政府?外交當(dāng)局というものはむしろ障害になりうるもので、ある程度成熟した市民間での直接交流しか道はないのだろう。
このほか今度の問(wèn)題に関しては、メディア言説、さらにそれを上位から規(guī)定する學(xué)術(shù)言説の問(wèn)題點(diǎn)も作用していると考えるが、これらの點(diǎn)についてはまた稿を改めたい。
(本田親史/國(guó)士舘大アジア?日本研究センター客員研究員<PD>)
●寫(xiě)真説明
1枚目=北京市內(nèi)の新聞スタンドで。日本の流行をほぼオンタイムで網(wǎng)羅するファッション誌。今回の事態(tài)でサブカルチャーは日中関係に何の貢獻(xiàn)もできなかったことが明らかになった。
2枚目=北京市內(nèi)の土産物屋で。清く貧しい時(shí)代を模して作られたマグカップだが「給料を上げてくれ」との赤い文字。
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