Record China 2012年10月4日(木) 5時15分
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2日、中國共産黨系メディアは、香港の著名な収集家が「釣魚島(尖閣諸島)が中國領(lǐng)である証拠」とする87枚の古地図を提供し、これを紹介する巡回展を北京や広州などで開催したと報じた。寫真は9月、北京保利蕓術(shù)博物館で公開された「記事珠」。
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2012年10月2日、中國共産黨機(jī)関紙?人民日報(海外版)は、香港の著名な収集家、譚兆璋(タン?ジャオジャン)氏が「釣魚島(尖閣諸島)が中國領(lǐng)である証拠」とする87枚の古地図を提供し、これを紹介する巡回展を北京や広州などで開催したと報じた。
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記事によると、譚氏が所有する87枚の古地図は、明代(1368年?1644年)と清代(1644年?1912年)のもの、同時代に英國やフランスなどで作成された航海図、日本人が作成したものなどが含まれる。いずれも「釣魚島」の記載があるが、すべて中國の福建省などで話される中國語方言「ビン南語」の発音表記になっていることから、「中國が日本より早く発見し、釣魚島と命名した証拠」だとしている。
譚氏は、「日本政府は古賀辰四郎が1884年に開拓を始めたと言っているが、中國はそれよりもっと前の1372年、明の招諭使?楊載が釣魚島に送り込まれ、『釣魚嶼』と書かれた石碑を建てた」と主張している。
また、記事によると、9月24日から15日間、尖閣諸島が中國領(lǐng)であることを証明する「鉄の証拠」の展示會が北京の保利蕓術(shù)博物館で開催され、清代に書かれた文獻(xiàn)「記事珠」が「新たな重要証拠」として注目を集めた。
「記事珠」は、嘉慶13年(1808年)に作家、沈復(fù)(シェン?フー)ら清の使節(jié)団が琉球(沖縄)へ向かった際の記録で、「姑米山(久米島の中國語名)を過ぎて琉球領(lǐng)に入った」との記載があることから、久米島より中國寄りにある尖閣諸島は當(dāng)時中國領(lǐng)であったことを示す「鉄の証拠」だと中國側(cè)は主張している。(翻訳?編集/NN)
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