呂 厳 2018年10月12日(金) 18時(shí)40分
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今世紀(jì)初頭、女子十二楽坊が日本を魅了した光景は今も目に焼き付いている。
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「アジアの歌姫」テレサ?テンが日本で大活躍した1980年代の様子を直接見(jiàn)ることはできなかったが、今世紀(jì)初頭に女子十二楽坊が日本を魅了した光景は今も目に焼き付いている。
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當(dāng)時(shí)、學(xué)生だった私は東京で借りた部屋に閉じこもって論文作成に頭を悩ませていた。寢る暇を惜しんで機(jī)に向かい、クタクタになるとテレビをつけて気分転換。たびたび耳に入って來(lái)る女子十二楽坊のニュースに、つい「中國(guó)について日本メディアがこれほど関心を持つのはパンダと彼女たちくらいだ」などと感じ入ったものだ。
だが2009年以降、女子十二楽坊は突然、人々の前から消え、日本でその情報(bào)を聞くこともほぼなくなった。すでに日中関係が暗雲(yún)に覆われていた時(shí)期だ。一度は「政治的な環(huán)境を理由に日本市場(chǎng)を放棄したのか」とすら考えてしまったが、今日になってようやく事情を知ることができた?!弗哎氅`プ創(chuàng)設(shè)者の他界や數(shù)度にわたるメンバー交代で思うように活動(dòng)できなかった」との話を聞いたのだ。
米中貿(mào)易戦爭(zhēng)が大きく変化していくこの多難な時(shí)期に、日中の友好は極めて貴重だ。女子十二楽坊がこのタイミングで日本に戻って來(lái)たことはわれわれにさまざまな考えを抱かせる。個(gè)人的には「日中間の不穏な空気を免れることができたのは天の配慮か」との思いだ。
現(xiàn)在、女子十二楽坊の団長(zhǎng)を務(wù)めているのは発足當(dāng)初の琵琶奏者だ。豊富なステージ経験を持つ彼女の指導(dǎo)のもと、現(xiàn)メンバーがより優(yōu)美でスケールの大きいパフォーマンスを披露してくれると信じている。女子十二楽坊が日本で再び腳光を浴びることを期待している。
■筆者プロフィール:呂 厳
4人家族の長(zhǎng)男として文化大革命終了直前の中國(guó)江蘇省に生まれる。大學(xué)卒業(yè)まで日本と全く縁のない生活を過(guò)ごす。23歳の時(shí)に急な事情で來(lái)日し、日本の大學(xué)院を出たあと、そのまま日本企業(yè)に就職。メインはコンサルティング業(yè)だが、さまざまな業(yè)者の中國(guó)事業(yè)展開(kāi)のコーディネートも行っている。1年のうち半分は中國(guó)に滯在するほど、日本と中國(guó)を行き來(lái)している。興味は映畫(huà)鑑賞。好きな日本映畫(huà)は小津安二郎監(jiān)督の『晩春』、今村昌平監(jiān)督の『楢山節(jié)考』など。
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