Record China 2012年10月9日(火) 1時(shí)27分
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6日、尖閣諸島の國(guó)有化に反発する中國(guó)當(dāng)局が、日本人作家や日本関連書(shū)籍の出版を禁止したことを受け、臺(tái)灣の作家が中國(guó)紙に「日本の本に八つ當(dāng)たりをするな」と題した記事を寄稿した。寫(xiě)真は09年8月、上海でサイン會(huì)を行った作家の渡辺淳一氏。
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2012年10月6日、尖閣諸島(中國(guó)名?釣魚(yú)島)の國(guó)有化に反発する中國(guó)當(dāng)局が、日本人作家や日本関連書(shū)籍の出版を禁止したことを受け、中國(guó)紙?南方週末は臺(tái)灣の作家の寄稿記事「日本の本に八つ當(dāng)たりをするな」を掲載した。以下はその概要。
【その他の寫(xiě)真】
臺(tái)灣の臺(tái)北に「重慶南路」と「[牛古]嶺街」という2つの通りがある。ここは國(guó)民黨政権の下で戒厳令が敷かれていた時(shí)代、書(shū)店街として栄えていた。前者は新書(shū)を扱い、後者は古本を揃えた。當(dāng)時(shí)の臺(tái)灣は書(shū)籍に対する検閲が厳しく、當(dāng)局の意に沿わなければ、たとえ印刷中でも差し押さえられることは珍しくなかったが、臺(tái)灣出版界は勢(shì)いを失わず毎年數(shù)千もの新書(shū)を出版し続けた。
「[牛古]嶺街」にも次から次へと古本が集められた。古本は新書(shū)のように検閲することは難しい。全く違うタイトルのカバーをかけてしまえば、當(dāng)局の検査が入っても一見(jiàn)しただけでは本當(dāng)の內(nèi)容までは分からない。店主と顔なじみになれば、中國(guó)本土の作家である魯迅、茅盾、巴金、沈從文、老舍など、建前上は存在しないはずの本も手に入れることができた。中臺(tái)が完全に隔絶された狀況の中、「[牛古]嶺街」は中國(guó)本土に最も近い場(chǎng)所だったといえよう。
この2つの書(shū)店街の存在により、臺(tái)灣は本當(dāng)の意味での封鎖を免れた。米國(guó)で出版された本もあっという間に翻訳されて売られていたし、日本と1972年に國(guó)交を斷絶した後も、日本人作家の本が途切れることはなかった。そのおかげで臺(tái)灣人は外の世界を知る機(jī)會(huì)を完全に奪われずに済み、広い視野と客観的な見(jiàn)方を維持することができたのである。
どんなに強(qiáng)い怒りがあろうとも、本棚から本が消えるようなことがあってはならない。本は社會(huì)にとって最も重要な心の窓口である。その窓を閉じ、人々を何の変化もない環(huán)境に閉じ込めても、嫌な相手を痛めつけることにはならない。かえって自らの心を傷つけるだけである。(翻訳?編集/NN)
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