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福田康夫元首相が日中関係を語る、中國訪問は30回―中國メディア

人民網(wǎng)日本語版    2018年10月31日(水) 18時(shí)30分

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福田康夫元首相の文章が人民日報(bào)に掲載された。寫真は中國高速鉄道。

1978年10月、私は福田赳夫首相(當(dāng)時(shí))の秘書として、訪日中のトウ小平氏と東京で會う幸運(yùn)に恵まれた。トウ氏は優(yōu)しく、ひとしお親しみやすい、精力的な老人だった。トウ氏は東京で福田赳夫首相と會談した他、各地を訪れて新日鉄、日産自動車、松下などの工場を見學(xué)した。その後まもなく、中國共産黨第11期中央委員會第3回全體會議が招集され、改革開放という偉大な決定がなされた。(文:福田康夫元日本首相。人民日報(bào)掲載)

中國共産黨のこの政治決斷は非常に英明だった。改革開放なしに、その後の中國の急速な発展は実現(xiàn)困難だった。1980年代初めに私は北京、西安上海を訪問した。當(dāng)時(shí)中國はまだ非常に貧しく、現(xiàn)在とは全く違った。北京首都國際空港から市內(nèi)へ到る道路が大変狹く、両側(cè)が畑だったことを私は今もはっきりと覚えている。農(nóng)民が畑で働く情景が今もありありと目に浮かぶ。

その後私は中國を約30回訪問した。中國を訪れる度に、その多大な変化と盛んな活気をしっかりと感じることができる。私は中國の高速鉄道に2回乗り、速度が非常に速いだけでなく、車內(nèi)が大変清潔で美しく、快適であることも感じた。日本の新幹線は1964年に初めて開通し、現(xiàn)在でようやく約3000キロメートル建設(shè)された。中國の高速鉄道はわずか10數(shù)年で開通距離が2萬5000キロメートルを超えた。こうして計(jì)算すると中國の高速鉄道の開通距離は日本の8倍に相當(dāng)する。

今年4月のボアオ?アジアフォーラムでは、中國の発展速度が高速鉄道の建設(shè)速度と同様に速いことに多くの國々の指導(dǎo)者が驚嘆した。2000年に中國の國內(nèi)総生産(GDP)は日本のおよそ4分の1だった。2010年に中國は日本を抜いて世界第2の経済大國となった。今や中國のGDPは日本のほぼ2.5倍だ。中國のように急速な発展を遂げた國は人類の歴史において恐らくない。

中國の改革開放が多大な成果を得た最も重要な原因は、中國共産黨の揺るぎなく正しい指導(dǎo)の下、中國の人々が自國の國情に基づき、自國に適した発展の道を探り出し、刻苦奮闘し、勤勉に働いたからだ。まさしくトウ小平氏が強(qiáng)調(diào)した「発展こそ不変の道理」「安定は全てを圧倒する」のように、中國共産黨の指導(dǎo)の下、中國は政治的に安定し、社會秩序が良好であることで、経済的テイクオフに良好な環(huán)境を創(chuàng)造した。歴史がすでに繰り返し証明しているように、政治が不安定なら、経済発展を語ることはできない。かつて日本経済が急速に成長したのも、政局が長期安定していたからだ。日本と中國は國情が異なる。日本の政黨は日本に適した方法で日本を管理し、中國共産黨は中國の國情に適した方法で中國を治めている。中國の発展路線は中國の國情に非常に適したものだ。

われわれはトウ小平氏が遠(yuǎn)大な卓見を備えていたことも認(rèn)識する必要がある。トウ氏は教育を非常に重視し、大學(xué)入試制度を再開し、9年間の義務(wù)教育制度を?qū)g施した。これによって中國の経済?社會発展のために優(yōu)秀な人材が數(shù)多く育成された。

習(xí)近平(シー?ジンピン)主席の打ち出した人類運(yùn)命共同體の構(gòu)築という理念に私は大変賛同する。各國の人々はみな同じ地球に暮らしており、みなが友であり、運(yùn)命を共にすべきだ。習(xí)主席は先般アジア?アフリカ諸國を歴訪した。これは人類運(yùn)命共同體の構(gòu)築という理念の実踐だ。アフリカは世界で発展の後れた地域であり、依然多くの國が貧しく、生活の保障のない人々が少なくない。近代以降、歐州列強(qiáng)はアフリカに多くの植民地をつくり、アフリカの人々に多大な苦難を與え、こうした國々の経済基盤が非常に弱くなる結(jié)果をもたらした。彼らは技術(shù)がなく、経済発展のノウハウも不足している。習(xí)主席のアフリカ訪問は、アフリカと手を攜えて発展し、アフリカ諸國の人々と共に人類運(yùn)命共同體を構(gòu)築することが目的だ。中國がアフリカを支援して多くのインフラを建設(shè)し、民生を改善したことは喜ばしく、安堵を覚える。日本が中國と共にアフリカの発展に助力できれば、アフリカの人々に極めて大きな幸福がもたらされる。これはアフリカの経済発展に資するだけでなく、世界の平和と発展にも資する。

今年は中國の改革開放40周年だ。今年4月のボアオ?アジアフォーラム年次総會開幕式で習(xí)主席が強(qiáng)調(diào)したように、「われわれは開放?ウィンウィンを堅(jiān)持し、勇気を持って変革?革新に取り組んでいく」。改革開放は前へ向かい続ける偉大な航程だ。中國が引き続き改革を深化し、開放を拡大することを希望する。今年は日中平和友好條約締結(jié)40周年でもある。中國と日本は一衣帯水の隣國であり、それぞれ世界第2、第3の経済大國だ。中國の発展は日本にとってチャンスだ。両國が緊密に協(xié)力し、人類運(yùn)命共同體構(gòu)築のために力を捧げることを希望する。(提供/人民網(wǎng)日本語版?編集/NA)

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