日本大好きな私、「漢服」を著て京都の街を歩いてみたら…―中國(guó)人學(xué)生

日本僑報(bào)社    2018年11月11日(日) 22時(shí)10分

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日本好きだという江西農(nóng)業(yè)大學(xué)南昌商學(xué)院の呉夢(mèng)露さんは、中國(guó)の「漢服」の美しさに改めて魅了され、「漢服」を著て京都の街を歩くことに。通行人たちはどんな反応を示したのか。資料寫真。

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日本好きだという江西農(nóng)業(yè)大學(xué)南昌商學(xué)院の呉夢(mèng)露さんは、中國(guó)の「漢服」の美しさに改めて魅了され、「漢服」を著て京都の街を歩くことに。通行人たちはどんな反応を示したのか。以下は、呉さんの作文。

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「今私が著ているものを知っていますか?」。人通りの多い京都清水の町で、7月のそよ風(fēng)に恵まれ、私は向こう側(cè)の答えをドキドキと待っていた。

私が著ていたのは漢服で、文字通り、中國(guó)の漢民族の伝統(tǒng)服だった。56民族の中で一番大きい民族(漢族)の伝統(tǒng)服が漢服だということを3年前初めて知った。ずっと日本のアニメを見ながら過ごしてきた私は、京都の古い町で、麗しい桜の樹やきれいな著物姿が重なる畫面に、何年も夢(mèng)中になっていた。だから、いつも日本に憧れ、中國(guó)ならではの美しさを無視していた私は、初めてある先輩が著ていた漢服を見た時(shí)、完全に魅了されたとも言える。

「そっか、私たちもそんな美しい物を持っているのか。忘れちゃったね」と気づいた。しかし、我が國(guó)の美しさを忘れた人は私一人だけではない。王朝交代のせいで漢服などの漢族文化は300年間伝承を失ったままだ。近年、漢服という言葉が現(xiàn)れだしたのは2003年ごろだった。本國(guó)の文化を反省したいからなのか、詳しい理由は分からないが、ある若者が漢服をきっかけに、中國(guó)伝統(tǒng)文化の復(fù)興を叫んで、「服復(fù)興運(yùn)動(dòng)」を起こした。しかし、すでに十?dāng)?shù)年も経ったが、多くの人にとって漢服はなお新しいものである。だから、私はこの中國(guó)特有の美しさをもっと多くの人に伝えたい。特に大好きな日本人に。

ようやく、去年の夏休み、私は日本に留學(xué)していた友達(dá)の王さん、大學(xué)で知り合った日本人留學(xué)生の栗田さんとの3人で、寢ても覚めても行きたい京都への旅を始めた。その旅で、私達(dá)は自分に一つの任務(wù)を設(shè)けた。漢服を著て町の外國(guó)人に簡(jiǎn)単に説明し、寫真を撮った後、自分のフェイスブックあるいはインスタグラムでシェアすることだった。

京都は思ったより美しかった。そんな古風(fēng)で素樸な町で漢服を著たとき、何も違和感がなかった。私は通行人を止め、「私の著ている服を知っていますか」と質(zhì)問する度に、胸がドキドキした?!袱ⅳ?、著物?」。大體もらった答えはそうだった?!钢铯趣瑜皮皮い毪扦筏绀?。これは漢服と言う中國(guó)の伝統(tǒng)的な服ですけど、最近流行っています……」。王さんは熱心に説明していた?!袱ⅳ?、きれい」。向こうから歩いてきたのは日本人、アメリカ人、中國(guó)人の3人だった。

日本人の女の子はきれいと優(yōu)しく絶賛してくれた。アメリカの男の子は自発的に寫真を撮ってくれた。3人は興奮し、いろいろなことをしゃべった。2人の中國(guó)人留學(xué)生は「大體日本人は中國(guó)のチーパオ(チャイナドレス)だけ知っているそうですね。中國(guó)人が誰でもチーパオを持っていると思ってるそうです。でも違うよ。中國(guó)人は伝統(tǒng)的な祝日になると、別に特別な服を著ていないでしょう。そのことを日本人は知らない」と言った。確かにそれも私が日本人に伝えたいことだ。それからいろいろな違った國(guó)の人に街角インタビューをし、數(shù)十人に漢服のことを紹介した。皆も熱心に寫真を撮ってもらった。そうすることで私も自信がついた。

しかし、殘念ながら、三日後、フェイスブックやインスタグラムなどをチェックした時(shí)、あの日撮った寫真をシェアしてくれた人は誰もいなかった。私はがっかりした?!附预蠍uずかしいのかもね……。大丈夫、美しい物は皆がきっと好きだ。私がいるじゃん!呉さん、諦めちゃダメよ」と栗田さんはそう慰めてくれた。「私がいるじゃん」という言葉を聞き、大學(xué)で彼女と一緒に日本の華道を勉強(qiáng)した日々を思い出した。その10日だけで終わった短い旅は、私にとって、漢服を守りたい人生で一番辛くて長(zhǎng)い旅だった。そして中國(guó)で宣伝することは日本よりもっと必要で難しいと気がついた。

あの日、インタビューを受けて理解してくれた人、漢服を好きになってくれて、本當(dāng)にありがとう。このきれいな町で、色々な美しい物を、また日本人と一緒に探したい。(編集/北田

※本文は、第十三回中國(guó)人の日本語作文コンクール受賞作品集「日本人に伝えたい中國(guó)の新しい魅力」(段躍中編、日本僑報(bào)社、2017年)より、呉夢(mèng)露さん(江西農(nóng)業(yè)大學(xué)南昌商學(xué)院)の作品「漢服を著て、京都に行こう」を編集したものです。文中の表現(xiàn)は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報(bào)社の許可を得て掲載しています。

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