「経済」という言葉は日本人の発明?―中國メディア

Record China    2012年12月3日(月) 23時50分

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3日、「経済」は現(xiàn)代の中國でおそらく、最も使用頻度の高い言葉のひとつだろう。寫真は北京のショップでのセール。

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2012年12月3日、「経済」は現(xiàn)代の中國でおそらく、最も使用頻度の高い言葉のひとつだろう。ほとんどの人はその意味を理解していなくとも、街の食堂でさえ「経済?実恵」(経済的でお得)と客を呼び込む?!附U済學(xué)」はさらに大道をゆき、各大學(xué)の教室を獨り占め、最も「熱い」専攻となっている。ニュースサイト?中國経済網(wǎng)が伝えた。

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しかしながら中國語としての「経済」および「経済學(xué)」の二つの言葉は、中國人が生みだしたものではない。起源は日本にあり、100年とすこし前、中國に伝來したにすぎない。

かつて中國は日本に影響を與え続けてきた。しかし明治維新の洗禮を経て、日本が西洋文明の神髄を?qū)Wび、のちに先進諸國の仲間入りを果たすと、立場が逆転した。孫文魯迅、周恩來郭沫若、陳寅恪、王國維、李叔同、郁達夫、秋瑾、陳獨秀、張聞天、夏衍、田漢、周作人、蔣介石などはいずれも日本に留學(xué)した。

日本人は英語の「economy」を訳した際、「経済」という漢字2文字を充てた。日本人はこの2文字こそ、英語原語の本義を表すと考えた。よってこの意義を持つ「経済」という言葉の発明者は中國人ではなく、日本人である。古代の中國人は、ときおり「経」と「済」を一緒に用いることがあったが、その意味は、今日の「経済」とはまったく異なる。

「経済學(xué)」に話を戻そう。1867年、幕末明治期の洋學(xué)者?神田孝平は英語の「economics」を漢字3文字「経済學(xué)」に訳した。

中國で最も早く経済學(xué)専攻を開設(shè)したのは北京大學(xué)。教授のなかには日本人も含まれ、講義を「経済學(xué)」と名付けた。

中國の國學(xué)の大家?梁啓超、厳復(fù)の両氏は早くに「economics」を知り、それを「計學(xué)」あるいは「生計學(xué)」と訳した。すなわち「家計の學(xué)」だった。もっともこの訳はその後、人々に受け入れられなかった。

私たちが現(xiàn)在いう「経済」および「経済學(xué)」とは、19世紀末から20世紀初頭にかけて、日中両國の文化的?人的交流の流れで、日本から中國に伝わった。

現(xiàn)代的意義を持つ「経済」という言葉はなかったが、古代の中國人には別の言葉があった?!附U世済民」だ?!附U世済民」の意味は、世界を治め、仏が衆(zhòng)生を苦しみから救うこと。これこそ、代々の中國の優(yōu)秀な知識人が先人から受け継いできた理想である。(提供/人民網(wǎng)日本語版?翻訳/HT?編集/TF)

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