<コラム>出稼ぎのような仕事からプロフェッショナルな仕事へ、変わりつつある中國(guó)宅配配達(dá)員の社會(huì)的地位

吉田陽(yáng)介    2019年11月23日(土) 11時(shí)20分

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「雙11(ダブル11)」は今や中國(guó)最大の「買(mǎi)い物デー」となっており、その日を狙って買(mǎi)い物する人が多い。その中で、最も重要な役割を果たすのは、宅配配達(dá)員だ。彼らにとって11月11日から18日は最も忙しい時(shí)期といえる。

「雙11(ダブル11)」は今や中國(guó)最大の「買(mǎi)い物デー」となっており、その日を狙って買(mǎi)い物する人が多い。その中で、最も重要な役割を果たすのは、宅配配達(dá)員だ。彼らにとって11月11日から18日は最も忙しい時(shí)期といえる。

この時(shí)期の割引を狙って集中的に買(mǎi)い物する人が多いので、配達(dá)員も手が回らないためか、なかなか商品が屆かないことはざらにある。最近は、荷物を今送っていると攜帯にメッセージが入るようになっているが、メッセージが來(lái)ても、待てど暮らせど來(lái)ず、忘れた頃に來(lái)るということもよくある。

中國(guó)のネット消費(fèi)の発展に重要な役割を果たしている配達(dá)員だが、社會(huì)的地位は高くはない。日本でも配達(dá)員は「ブラック」な仕事といわれているが、中國(guó)の宅配配達(dá)員も天気や晝夜を問(wèn)わず長(zhǎng)時(shí)間働かなければならないので、「いい仕事」の部類(lèi)には入っていない。私は中國(guó)に10年以上いるが、宅配の配達(dá)員というと「無(wú)禮」「サービスというのものを分かってない」という印象だが、最近の配達(dá)員もだいぶ変わってきた。

「無(wú)禮な配達(dá)員」はすでに過(guò)去のもの?

向上した宅配員のサービス

10數(shù)年前、ネットショッピングが今ほど流行っていなかったので、今のように宅配配達(dá)員を街のいたるところで目にするということはなかった。また、サービスもいいとはいえず、客に怒鳴ることもあった。2008年頃のある日、私の中國(guó)人妻は、配達(dá)員から「午後商品を送ります」という攜帯メールを受け取った。早く商品を受け取りたいから、出かける予定をキャンセルしてずっと待っていたが、夕方近くになっても來(lái)なかった。どうしたんだろうと心配になっているところに、配達(dá)員から「今日はもう遅いので、送れません」という攜帯メールが飛び込んできた。

午後の時(shí)間が無(wú)駄になった妻は怒り心頭。すぐさま配達(dá)員に電話をかけ、「今日の午後ずっと待っていたのに、時(shí)間の無(wú)駄じゃない」と言って怒りをぶつけると、配達(dá)員は「送れないって知らせてやったんだから、ありがたく思え」と返した。彼の対応は當(dāng)然火に油を注ぐ結(jié)果となり、妻は「分かった。あんたのことは會(huì)社に言うからね」と言い返した。すると、「ああいいよ。言え言え、勝手にしろ」と半ば開(kāi)き直ったような態(tài)度で吐き捨てて電話を切った。怒りが収まらない妻は、後日、會(huì)社に配達(dá)員の対応に対するクレームのメールを送ったが、結(jié)局返事がなかった。

當(dāng)時(shí)は配達(dá)員への管理も今ほど厳格ではなかったためか、客は配達(dá)員に「送っていただく」という態(tài)度で、怒らせて配達(dá)を拒否されないようにしていた。だから、屆け先をいつも誰(shuí)かいる家か、勤務(wù)先にしてすぐに受け取れるようにする人が多くなった。

今は直接受け取らなくてもよくなっている。団地の入り口に設(shè)置されている受け取りボックスで受け取れるようになっている。ボックスに入れたという配達(dá)員のメールを受け取ったら、24時(shí)間以內(nèi)に取りに行けばいいので、宅配待ちで時(shí)間が無(wú)駄になることはない。

もちろん、配達(dá)員による手渡しの場(chǎng)合もあるが、橫柄な態(tài)度をとられることは少なくなっている。重い荷物を家に屆けてくれたとき、配達(dá)員は「重いですから気をつけてくださいよ」と一言添えてくれる。また、不在のときに屆けに來(lái)たとき、「すみませんが明日來(lái)てください」と言うと、以前は「今すぐ戻ってこい」といった類(lèi)のことを言われたこともあるが、今は「わかりました。明日お屆けします」と言い、翌日屆けに來(lái)たとき、つっけんどんに渡すのではなく、禮儀正しかった。

今は宅配業(yè)界も競(jìng)爭(zhēng)が激しく、會(huì)社側(cè)も客の意見(jiàn)を重視しており、無(wú)禮な態(tài)度の配達(dá)員は何らかの処分を受けるため、サービスの質(zhì)も上がっている。

宅配員への「差別的視線」の理由

サービスが向上している配達(dá)員だが、社會(huì)的地位の高い仕事と認(rèn)識(shí)されておらず、客からの「差別的視線」を浴びせられることもある。もちろん、厳しい視線を浴びせられても當(dāng)然なマナーの悪い配達(dá)員がいることも事実だが、ちょっとした理由で配達(dá)員に怒りをぶつける客も少なくない。配達(dá)員と客がトラブルになったとき、配達(dá)員のほうが客に會(huì)社に言わないでくれとひざまずいて懇願(yuàn)することもある。

なぜ、宅配員にそのような視線が注がれるだろうか。理由は三つある。

一つ目の理由は、農(nóng)村出身者が多いので、マナーがない“野蠻人”と見(jiàn)られがちだ。この仕事は休みが少なく、かなりのハードワークなので、たいていは多少の苦労を厭わない農(nóng)村出身の若者が主體となる。農(nóng)民工もそうだが、農(nóng)村出身者は自分たちの生活レベル向上しか考えておらず、都會(huì)の人に比べてモラル水準(zhǔn)が低いため、時(shí)にはマナーに反することもする。農(nóng)民工らがバスに乗ってくると、差別的視線を浴びせる人も少なくない。

二つ目の理由は、誰(shuí)でもできる仕事と認(rèn)識(shí)されるからだ。配達(dá)は地理に詳しくないといけないし、限られた時(shí)間でたくさんの荷物を運(yùn)ばなければあらないので、運(yùn)転技術(shù)も必要だ。さらに、最近の宅配業(yè)はIT技術(shù)も活用しているので、ある程度はそれに習(xí)熟しなければならず、決してレベルの低い仕事とはいえない。だが、配達(dá)はただ屆けるだけだから、若くて體力のある人なら誰(shuí)でもできるだろうと思われがちだ。日本でもそうだが、「誰(shuí)でもできる仕事」と認(rèn)識(shí)されている仕事は、社會(huì)的地位が低い。

三つ目の理由は、サービスを提供する人が低い地位に置かれているからだ。配達(dá)員に限らず、レストランのホールスタッフなどは客に高圧的な態(tài)度をとられることがある。私は北京のレストランで、客が店のスタッフに橫柄な態(tài)度で接しているのを何度も見(jiàn)ている。日本でも、自分に逆らわない人をストレスのはけ口にしている人がいるが、そういう人は「社會(huì)人失格」のレッテルが貼られる。中國(guó)人の中にもそういう理由で店員に高圧的態(tài)度をとっている人がいるかも知れないが、サービスを提供する人に対する考え方の違いもあると思う。

中國(guó)語(yǔ)で「この店の店員は態(tài)度がいい」という言い方があるが、普通に読めばかなり上から目線の言い方だ。日本語(yǔ)では「サービスがいい」が妥當(dāng)だ。中國(guó)語(yǔ)の言い方から考えると、客と店員には一種の「主従関係」のようなものがある。それは客と配達(dá)員との関係にも言え、客は遠(yuǎn)慮なく配達(dá)員に怒鳴り散らすこともざらにある。

こうした理由から、物流の重要な擔(dān)い手である配達(dá)員の地位が低く、「給料7000元にしてもなかなか人が集まらない」といわれるほど、人手不足となっているが、新しい狀況になりつつある。

「宅配が將來(lái)性のある仕事」に

ステータスを設(shè)けられる配達(dá)員

配達(dá)員の社會(huì)的地位を上げるため、一部の地方で「職位制」をとり、北京でも実施されつつある。ある程度の実績(jī)を積めば、「エンジニア補(bǔ)佐」「エンジニア」「高級(jí)エンジニア」といった職位が與えられ、配達(dá)員の位置づけが「部品」のようなものではなくなる。その背景には、宅配業(yè)の発展にともない、そこで重要な役割を果たす配達(dá)員を確保したいという宅配業(yè)界のニーズがある。だが、配達(dá)員の社會(huì)的地位が低く、人員の流動(dòng)性が高い。中國(guó)は全體的にジョブホッピングが多く、多少條件の悪いところでも我慢して一定の経験を積み、他の仕事に変わるというパターンだ。社會(huì)的地位が低い業(yè)種なら、なおのこと人の出入りが激しい。それでは、経験を積んだ配達(dá)員の確保が難しくなる。

「職位」がどれだけに給與に反映されるかはわからないが、少なくとも宅配業(yè)が単なる「出稼ぎのような仕事」という低い評(píng)価ではなくなることは確かで、「將來(lái)性のある仕事」として社會(huì)に認(rèn)識(shí)され、経験のある配達(dá)員の引止めにも役立つのではないかと思う。宅配に限らず、サポート系の仕事は影のような存在で、表に出ることはないので、社會(huì)的評(píng)価が低くなりがちだ。こうした取り組みは、サポート系の業(yè)界にもいい影響を與えるのではないかと思う。

■筆者プロフィール:吉田陽(yáng)介

1976年7月1日生まれ。福井県出身。2001年に福井県立大學(xué)大學(xué)院卒業(yè)後、北京に渡り、中國(guó)人民大學(xué)で中國(guó)語(yǔ)を一年學(xué)習(xí)。2002年から2006年まで同學(xué)國(guó)際関係學(xué)院博士課程で學(xué)ぶ。卒業(yè)後、日本語(yǔ)教師として北京の大學(xué)や語(yǔ)學(xué)學(xué)校で教鞭をとり、2012年から2019年まで中國(guó)共産黨の翻訳機(jī)関である中央編訳局で黨の指導(dǎo)者の著作などの翻訳に従事する。2019年9月より、フリーライターとして活動(dòng)。主に中國(guó)の政治や社會(huì)、中國(guó)人の習(xí)慣などについての評(píng)論を発表。代表作に「中國(guó)の『代行サービス』仰天事情、ゴミ分別?肥満?彼女追っかけまで代行?」、「中國(guó)でも『おひとりさま消費(fèi)』が過(guò)熱、若者が“愛(ài)”を信じなくなった理由」などがある。

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