Record China 2012年12月15日(土) 12時(shí)41分
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中國(guó)の引越しといえば、自分で荷物を梱包して荷解きするもの。さらに費(fèi)用を節(jié)約したい場(chǎng)合は、同僚や友人を集めて荷物を運(yùn)んでもらい、食事をごちそうする。こんな話を紹介するのは、北京でクロネコヤマトの代理店業(yè)務(wù)を擔(dān)當(dāng)する北京華通広運(yùn)物流有限公司の柳田洋社長(zhǎng)だ。
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引越しといえば、自分で荷物を梱包して荷解きするもの。さらに費(fèi)用を節(jié)約したい場(chǎng)合は、同僚や友人を集めて荷物を運(yùn)んでもらい、最後に食事をごちそうすることでそのお禮に替える。
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中國(guó)の一般的な引っ越しは、現(xiàn)在もこんな様子だ。80年代の日本とほぼ同じである。梱包?運(yùn)搬?荷解きまでを一括するサービスが日本に登場(chǎng)したのは1985年のこと。ヤマト運(yùn)輸の「引越らくらくパック」がこれにあたる。現(xiàn)在、こうした引っ越しサービスは日本の常識(shí)となっている。
こんな話を紹介するのは、北京でクロネコヤマトの海外引越サービスの代理店業(yè)務(wù)を擔(dān)當(dāng)する「北京華通広運(yùn)物流有限公司」の柳田洋社長(zhǎng)だ。
さて、1985年當(dāng)時(shí)の日本の1人當(dāng)たり國(guó)內(nèi)総生産(GDP)は約1萬ドル。一方、北京では2009年に同じ數(shù)字を記録した。かの地では今や、200萬元?300萬元(2600萬円?4000萬円)もする高級(jí)マンションが続々と売れていく。そんな中、引越しに関してだけは全て自力でまかない、數(shù)百元で済ませるというのが主流だ。既存の引越サービス企業(yè)のほとんどは、「物をA地點(diǎn)からB地點(diǎn)に運(yùn)ぶだけの運(yùn)送業(yè)」。運(yùn)ぶ以外のことは何もやってくれない。したがって、「數(shù)千元(數(shù)萬円)払ってでも、安心で良質(zhì)なサービスを受けたい」という人が宙に浮いてしまう。「引越らくらくパック」サービス普及の期は熟しているのではないか、と柳田社長(zhǎng)は確信している。
柳田さんは1996年、30歳の時(shí)に當(dāng)時(shí)勤めていた丸紅の北京支店に赴任した。中國(guó)の人たちのパワー、バイタリティ、旺盛な獨(dú)立心に圧倒され、「これでは近い將來、日本は必ず追い越されるな」と感じたという。そして5年半後の2001年、中國(guó)で起業(yè)する夢(mèng)を見て丸紅を退社、そのまま北京に留まり、コンサルティング會(huì)社を設(shè)立した。「安定した暮らしを捨てて、なんで中國(guó)で?」という問いに、柳田さんは、「日本の社會(huì)発展はすでに飽和狀態(tài)。中でもサービス業(yè)はそれが顕著だ。発展期を迎えた中國(guó)での方が成功をつかみやすい」と話している。
起業(yè)當(dāng)初は継続的な仕事が取れず、將來の展望が見えないまま日々が過ぎる。家賃節(jié)約のために都心から遠(yuǎn)く離れた中國(guó)人用マンションに引っ越した。2001年の大晦日、妻と子供たちに「どうしても紅白歌合戦が見たい」と泣きつかれた。中國(guó)で海外の衛(wèi)星放送を受信することが許可されているのは、ホテルと外國(guó)人用集合住宅のみ。柳田さんはやむなく自宅から一番近いホテルに部屋をとって、家族5人揃って狹い客室で年越しをした。
手持ちの資金を使い果たしたら、日本でまた一からのサラリーマン生活だ。食べられず、眠れずの日々が続き、柳田さんの體重は開業(yè)3カ月で7kgも減っていた。出口の見えないトンネルに光が見えたのは開業(yè)半年のとき。丸紅時(shí)代の中國(guó)人部下の紹介を経て、ヤマト運(yùn)輸の新しい代理店となった。以來、日本人や歐米人のビジネスマンたちに、海を渡る引っ越しのサービスを提供してきた。日本式の高水準(zhǔn)な梱包技術(shù)とサービスは、高級(jí)な家具や電化製品を持つ中國(guó)人富裕層にもアピールするはずだと確信している。
中國(guó)人のビジネスパートナーと一緒に10年間やってきた柳田さんは、日本人と中國(guó)人の特性や付き合い方について、こう考えている。日本人の特長(zhǎng)は「サービス精神」「生真面目さ」「完璧主義」「チームワーク」。中國(guó)の人たちには簡(jiǎn)単にマネのできない長(zhǎng)所でもあるが、ビジネスの邪魔になることもある。お客様至上主義の「サービス精神」は現(xiàn)場(chǎng)を疲弊させ、融通が利かない「生真面目さ」は取引先をいらつかせ、時(shí)間がかかりすぎる「完璧主義」でビジネスチャンスを逸し、烏合の衆(zhòng)の「チームワーク」は何も決斷できない組織を作ってしまう可能性がある。そんなときに頼りになるのが中國(guó)人の力なのだ。中國(guó)人の「合理性」は無駄なサービスを省き、「柔軟性」は物事をスムーズに運(yùn)ばせ、「決斷の速さ」は市場(chǎng)の変化を的確に捉え、「獨(dú)立心」は事業(yè)を前に進(jìn)める推進(jìn)力となる。日本人が苦手とする部分は、中國(guó)人の助けを借りればよい。
こうした中國(guó)人の特長(zhǎng)がとんでもない欠點(diǎn)になることも、もちろんある。「合理性」が引き起こす心のこもらないサービス、「柔軟性」がありすぎてコロコロと変わる予定、「決斷の速さ」が招く欠陥だらけのモノやサービス、「獨(dú)立心」が引き起こす暴走。こうした中國(guó)人の欠點(diǎn)は逆に、日本人が補(bǔ)うことができる。全く正反対の特長(zhǎng)を持つ日本人と中國(guó)人が対立するのではなく、互いに相手の長(zhǎng)所を活かし欠點(diǎn)を補(bǔ)い合うことによって、新たな付加価値を生み出せる。これこそ、柳田さんが考える日本人と中國(guó)人の理想の姿だ。
柳田 洋
北京華通広運(yùn)物流有限公司 社長(zhǎng)
1966年東京生まれ。早稲田大學(xué)商學(xué)部卒業(yè)後、丸紅で石炭貿(mào)易に従事。1996年より5年半にわたり丸紅北京支店に駐在するも、起業(yè)の志捨て難く、2001年丸紅を退社。そのまま北京に留まり駐在員事務(wù)所代行サービス會(huì)社を設(shè)立。その後、引越業(yè)務(wù)や倉庫業(yè)務(wù)を開始して現(xiàn)在に至る。著書に「起業(yè)するなら中國(guó)へ行こう!」(PHP新書)。
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