中國(guó)メディアが日清?日露戦爭(zhēng)の紹介記事を掲載=「日本は限定戦爭(zhēng)に徹した。組織力と実行力は見(jiàn)習(xí)うべき」

Record China    2019年1月9日(水) 13時(shí)10分

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新浪網(wǎng)は4日、日清?日露戦爭(zhēng)を題材に、日本は彼我の狀況に基づき限定的な勝利をもって戦爭(zhēng)を終結(jié)する姿勢(shì)を明確にしていたと指摘する記事を掲載した。寫(xiě)真は2018年の調(diào)査では発見(jiàn)された日清戦爭(zhēng)で撃沈された軍艦「経遠(yuǎn)」の一部。

中國(guó)メディアの新浪網(wǎng)は2019年1月4日付で「天気晴朗なれども波高し:近代の戦爭(zhēng)における日本の戦略選択」と題する記事を掲載した。日清?日露戦爭(zhēng)を題材に、日本は彼我の狀況に基づき限定的な勝利をもって戦爭(zhēng)を終結(jié)する姿勢(shì)を明確にしていたと指摘?,F(xiàn)在の中國(guó)も「見(jiàn)習(xí)うべき」と主張した。近代日本に対して軍國(guó)主義や侵略主義のレッテルを貼らない點(diǎn)で、同論説は中國(guó)メディアが発表する記事の中でも珍しい部類(lèi)に屬する。

記事は冒頭で、日中は交流、融合、対抗、闘爭(zhēng)などさまざまな面で相手を重視しており、中國(guó)では現(xiàn)在、日本の自衛(wèi)隊(duì)の動(dòng)向が重要な報(bào)道の対象になっているが、日本の戦略決定の研究は軽視されていると指摘した。

具體的な事例としては、まず日清戦爭(zhēng)(中國(guó)側(cè)呼稱(chēng)は甲午戦爭(zhēng))を取り上げた。中國(guó)で一般的な「両國(guó)の民族の運(yùn)命の決戦」「勝者が総取りの方式。買(mǎi)った日本は全面的な発展のチャンスを得て、破れた中國(guó)は100年の沒(méi)落に陥った」との見(jiàn)方を否定し、「この戦爭(zhēng)は全面戦爭(zhēng)ではなかった。日本も限定的勝利を得るとの展望をもって臨んだ」と指摘した。

「全面戦爭(zhēng)」ではなかった論拠として、清國(guó)側(cè)の事情を紹介した。日本と戦ったのは陸海共にほとんどが宮廷高官だった李鴻章が持つ「淮系」に屬する部隊(duì)で、その他の部隊(duì)は「われ関せず」の狀態(tài)だったと指摘。日本は當(dāng)時(shí)、すでに近代化した民族國(guó)家だったのに対し、中國(guó)は2000年以上前に、周の天子が諸侯を分封したかのような體制だったと解説した。

海軍関連では、日本も清も「いったん損害を受ければ補(bǔ)充が難しい狀態(tài)」と指摘。工業(yè)力の未発達(dá)などで、自前で主力艦を建造することなどができなかったことを指すと読み取れる。李鴻章は自らの海軍を軍港に溫存し、日本を「威嚇」するにとどめた。そのため、日本は大量の陸軍兵力を朝鮮半島に上陸させることができた。

陸戦において、清側(cè)は數(shù)量、裝備、戦意のいずれも日本軍を上回ると考えていたが、個(gè)別の戦闘で敗戦を続けた。そのため、清朝上層部に「日本軍には勝てない」との意識(shí)が発生。中國(guó)側(cè)が戦意を喪失したことで、日本側(cè)が要求する「限定戦爭(zhēng)に勝利した果実」を與えざるをえなくなったと論じた。

記事は続けて、日露戦爭(zhēng)について紹介した。日本は日清戦爭(zhēng)で得た「限定戦爭(zhēng)勝利の果実」により、國(guó)力を大幅に向上させていたと指摘。さらに、個(gè)別の事情を別にすれば、日清戦爭(zhēng)における清國(guó)、日露戦爭(zhēng)のロシアの狀況は酷似していたとの見(jiàn)方を示した。

具體的には、日清戦爭(zhēng)時(shí)の中國(guó)が日本との戦爭(zhēng)に國(guó)力を総動(dòng)員できなかったのと同様に、日露戦爭(zhēng)時(shí)のロシアの軍事?政治の重心は歐州であり、極東地域に投入できる力量は限定されていたと指摘。そのため、日本が日露戦爭(zhēng)で求めたのはやはり「限定的勝利」であり、日露戦爭(zhēng)は當(dāng)事國(guó)のロシアと日本にとって「民族間の死活決戦にはなりえなかった」と論じた。

記事は、日露戦爭(zhēng)の経緯を詳解した。日本軍が朝鮮半島をたえず支配下に置いたこと、遼東半島にいるロシア軍は朝鮮半島の日本軍と大陸部の平原に進(jìn)出した日本軍に挾撃される情勢(shì)になったことも説明。日露戦爭(zhēng)に觸れた記事は、同戦爭(zhēng)における日本軍の行動(dòng)を「侵略」と論じることが多いが、同記事は軍事?tīng)顩rの解説に徹した。

ロシア側(cè)が最後に期待した、ロジェストベンスキーによる日本連合艦隊(duì)の撃破も、日本側(cè)の完勝(日本海海戦)に終わったと指摘。ロシア側(cè)に戦況を逆転する希望が失せたところで日本側(cè)は「限定的戦爭(zhēng)による限定的勝利」を求めることになったと紹介した。

日露戦爭(zhēng)の講和條約であるポーツマス條約で、日本側(cè)が要求したのは、ロシアが開(kāi)戦前に獲得したばかりの中國(guó)に関する利益で、「ロシアに対して過(guò)剰な取り分を要求することで雙方の衝突が継続しエスカレートすることを巧みに避けた」と評(píng)価した。同記事はこの部分でも、日本の「侵略性」についての批判や非難をしていない。

記事はまとめの部分で、ドイツの軍事思想家であるクラウゼビッツの「國(guó)や軍の指導(dǎo)者は戦爭(zhēng)に臨む前に、戦爭(zhēng)の性格を明確化しておかねばならない」との言葉を引用。日清戦爭(zhēng)や日露戦爭(zhēng)で、日本側(cè)は一貫して「限定戦爭(zhēng)」という意思に基づき戦爭(zhēng)の詳細(xì)を進(jìn)める通則に徹していたと論じ「この種の戦爭(zhēng)の組織能力と実施能力は、われわれが手本とする価値が極めて大きい」と論じた。(翻訳?編集/如月隼人

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