吉田陽(yáng)介 2020年1月27日(月) 23時(shí)10分
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家の周りを歩いていると、太極拳や體操をしている高齢者を良く見(jiàn)かける。朝だけでなく、晝は中國(guó)將棋、夜は広場(chǎng)ダンスを楽しむなど、中國(guó)の高齢者は元?dú)荬?。?xiě)真は南京の高齢者。
朝、今住んでいる北京の家の周りを歩いていると、太極拳や體操をしている高齢者を良く見(jiàn)かける。朝だけでなく、晝は中國(guó)將棋、夜は広場(chǎng)ダンスを楽しむなど、中國(guó)の高齢者は元?dú)荬馈¥饯欷隙辘卧绀丹v係している。中國(guó)の定年は男性60歳、女性55歳。まだ體が動(dòng)く年齢だ。ただ、「元?dú)荬工搿挂徊扛啐h者が公共の場(chǎng)でトラブルを引き起こすこともある。
「若いやつは立ってろ」
若者にキレる高齢者
やや古い話だが、昨年8月20日午後に湖南省長(zhǎng)沙市の地下鉄1號(hào)線で、一人の男性高齢者が若い女性と席を譲ることをめぐってトラブルが起きた。當(dāng)時(shí)、地下鉄內(nèi)は混雑しており、男性高齢者は座ることができなかった。近くの席に座っていた女性は生理の影響で體調(diào)がすぐれないため、男性高齢者に席を譲らなかった。それを見(jiàn)た男性高齢者は、女性に席を譲るよう強(qiáng)く迫り、自分が強(qiáng)引に座って、席を取り戻そうとする女性に傘を向け、「殺すぞ、てめぇ」と言い放った。女性は他の乗客の機(jī)転で、男性高齢者の視界の外に消えたので、トラブルがエスカレートすることはなかった。女性はすぐに警察に通報(bào)。駅の警察オフィスで事情聴取を受けて駅を出た。その後、女性を威嚇した男性高齢者はどうなったかは続報(bào)がない。
トラブルの一部始終をおさめた映像が中國(guó)の微博(ウェイボー)にアップされ、ネットユーザーの関心を引き、多くのコメントが書(shū)き込まれていた。主なコメントは次のようなものだ。
「高齢者はこんなんでいいのか?」
「これはセクハラだ。警察の方にはこういうやつを捕まえて何日間か押し込めることをお願(yuàn)いしたい」
「ほかのやつを叩けよ」
「悪いやつが老いるとこうなる」
「尊敬に値しない老人だ」
當(dāng)然のことながら、男性高齢者を批判し、女性を擁護(hù)するコメントが多かった。
ほかには、「誰(shuí)が(高齢者に)席を譲ると決めたんだ。今のムードがこんなになっているのに、まだ(高齢者に)席を譲れというのか」「高齢者に席を譲らなければならない?道徳に縛られている」という高齢者に席を譲るという道徳に疑問(wèn)を投げかけるようなコメントもあった。
私も地下鉄やバスに乗っているとき、席を譲れといわんばかりの視線を送る高齢者を時(shí)折見(jiàn)かける。視線に気付いて席を譲ると、「當(dāng)然だ」というような表情で一言の禮もなくそそくさと座る。
その逆もある。バスに乗っているとき、高齢者が乗ってきたので、私のほうから譲ったら、「お前、座っとれ」とものすごい力で、立ち上がろうとした私を制し、降りるまでずっと立っていた。その高齢者は自分が年寄り扱いされたと感じて怒ったのだろう。
「キレる老人」がらみのトラブルは珍しいことではない。ラッシュ時(shí)のバスに大きい荷物を抱えて乗り、まわりの若い乗客に冷たい目線を送ったり、自分のせいでスーパーのカードが使えなくなったのに、ねちねち店員を責(zé)め続けるといったことを私はよく目撃する。
「敬老」が老人を甘やかす?
一部の高齢者がトラブルを起こす理由
日本でも飲食店などで店員の態(tài)度にキレてひどいことを言う「キレる老人」が話題になることがあるが、中國(guó)でも同様にそのような高齢者ををよく見(jiàn)かける。高齢者になると脳の感情を抑える部分の力が弱くなるから、すぐに切れるようになるとよく言われるが、では、なぜ「キレる老人」がらみのトラブルが起こるのだろうか。三つの理由が考えられる。
一つ目の理由は、「老人を敬う」という伝統(tǒng)的思想の影響だ。中國(guó)や日本は東アジア文化圏に屬するので、年上の人を敬う考えが強(qiáng)い。中國(guó)政治に興味のある読者はご存知だと思うが、毎年夏に現(xiàn)役の指導(dǎo)者がすでに引退した幹部に意見(jiàn)を聞くという會(huì)議が開(kāi)かれる。その會(huì)議の趣旨は國(guó)政や黨運(yùn)営の面での問(wèn)題処理について、歴代の指導(dǎo)者から意見(jiàn)を聞くというものだ。この會(huì)議は非公開(kāi)なので、どんな意見(jiàn)が出たか、意見(jiàn)がどれだけ反映されたかは分からないが、そういう會(huì)議が存在するというのは「年上を敬う」という考え方が強(qiáng)く反映されている。
一般市民レベルでも同じことがいえる。若い夫婦の子育てについても、年長(zhǎng)者が遠(yuǎn)慮なく口を出す。年長(zhǎng)者は若者よりも人生経験が豊富なので、アドバイスすることはごく自然なことだ。ただ、年長(zhǎng)者が現(xiàn)役だった時(shí)代と今とでは社會(huì)が違っているので、やり方が時(shí)代にあっていないという問(wèn)題はある。
私が長(zhǎng)く中國(guó)で生活してすごいなと感じるのは地下鉄やバスで席を譲る人が多いことだ。多くの人は、小さい子供を連れている人や高齢者に気持ちよく席を譲る。また、席を譲らない人に「そこに高齢者がいるんだから、席を譲ったらどうですか」と一聲かける人もいる。前出の男性高齢者は當(dāng)然席を譲ってもらえると思っていたのに、期待が外れたので、カッときてトラブルを起こしたのだろう。
二つ目の理由は、社會(huì)から離れている期間が長(zhǎng)くなったので、まわりに合わせるというようなことをしなくなるということだ。日本では定年になっても、生きがいのために働き続ける人も少なくないが、中國(guó)ではあまり多くない。というのは、中國(guó)では「リタイアした親を働かせるのは親不孝」という考え方があるからだ。もちろん、職種によっては熟練者を再雇用するということがある。
中國(guó)人は「仕事は生活の一部であってすべてではない」と考える人が少なくないので、リタイアしたら社會(huì)から離れて、第二の人生を楽しむ。社會(huì)から離れている期間が長(zhǎng)くなると、當(dāng)然のことながらわがままになっていく。前出の男性高齢者もそうなのかも知れない。
三つ目の理由は、「若者はダメなやつ」という先入観で若い人を見(jiàn)ているからだ。私も40歳を過(guò)ぎて「最近の若い者は」という臺(tái)詞が口癖のようになってきたが、私の周りの中國(guó)の高齢者も「最近の若い人はね。どうも自己中心的でいけない」とよく言っている。もちろん、若者にも問(wèn)題がないわけではない。ある日の夕方、混雑しているバスで、スーツケースを持った若い女性が、降りようとしていた高齢者男性にぶつかり、何も言わずにそそくさと降りようとしたので、高齢者男性が「コラ、ぶつかっておいてごめんなさいの一言もないのか」と一喝。すると、女性が逆ギレして「黙れクソじじい」と返してきて、ケンカになったということもある。この場(chǎng)合、女性が謝れば、トラブルになることはなかった。こういうことなどがあり、高齢者の目には「若者=ダメなやつ」という先入観があるのだろう。もちろん、このような例はごく一部で、マナーのある若者も大勢(shì)いる。
このような理由から、一部の「わがまま老人」はトラブルを起こすことがあるが、中には席を譲ってくれた若者に感謝し、自分が降りる頃に、譲った若者を座らせる「マナーのある高齢者」もいることは確かだ。
また、バスや地下鉄などでトラブルが起こるのは、今の中國(guó)はストレス社會(huì)であるということもある。子供たちは過(guò)酷な受験競(jìng)爭(zhēng)、現(xiàn)役世代の大人は職場(chǎng)での激しい競(jìng)爭(zhēng)、高齢者も自分の體のことや記憶力の減退、自分の子供と一緒に暮らせないなどのストレスを抱えている。それぞれが互いの狀況を理解し、助け合うことが大事だが、今の中國(guó)はなるべく他人にかかわらないでおこうという風(fēng)潮が強(qiáng)い。
中國(guó)共産黨が呼びかけている「社會(huì)主義核心的価値観」の構(gòu)築は簡(jiǎn)単に言えば、個(gè)人の利益追求ではなく、公のことを第一に考えるという伝統(tǒng)的な共産主義的考え方だ。その考え方が根付くのは中國(guó)の経済レベルの向上はもちろんのこと、人々の意識(shí)も変わる必要がある。
若者と老人の「ウィンウィン」
高齢者は孫の世話などで存在感示す
トラブルを起こした「元?dú)荬工搿垢啐h者が批判の的になることもあるが、今の中國(guó)人、特に若い夫婦にとってはなくてはならない存在だ。
改革開(kāi)放前は「単位(機(jī)関、企業(yè)などの所屬先)社會(huì)」といわれ、仕事と生活が一體となっていた。だから、職場(chǎng)と幼稚園、學(xué)校が近く、下校時(shí)間が早くても親が迎えに行くことができた。自分の仕事が終わっていなくても、いったん迎えに行って、子供を連れてオフィスに戻ることもできた。
だが今は、職場(chǎng)と生活が完全に切り離されており、子供の送迎の問(wèn)題は自分で解決しなければならない。企業(yè)は改革開(kāi)放以降、市場(chǎng)経済化に適応するために改革が進(jìn)んだが、學(xué)校や幼稚園は改革のスピードについていっておらず、子供を育てにくい環(huán)境になっている。
學(xué)校の下校時(shí)間は3時(shí)か4時(shí)。両親が到底迎えにいくことができない時(shí)間だ。いつも休みを取るわけにはいかないので、送迎は必然的にリタイアした自分か配偶者の両親になる。
私の妻はフルタイムの仕事をしているので、幼稚園に子どもを迎えに行くのは時(shí)間が比較的自由な私の仕事だ。子供が出てくるのを待っているとき、周りにいるのはほとんどが高齢者で、彼らは世間話に華を咲かせている。
送迎だけでなく、子供の世話や買(mǎi)い物など一般的な家事も高齢者の仕事になる。先ほども述べたように、中國(guó)の高齢者の定年が早いので、元?dú)荬嗜摔啶⒆婴嗓猡蚊娴工蛞?jiàn)ることはさほど難しいことではない。
もちろん、中國(guó)にも家事代行サービスがあり、政府は今後この産業(yè)を発展させていく方針だが、まだ信用できないものもあるので、自分の両親に頼む人が多い。
こういうことからか、中國(guó)の若者の中には、子供の面倒を両親に見(jiàn)てもらうことを當(dāng)てにしている人もいる。
高齢も孫の世話を一つの「生きがい」にしており、積極的に関わろうとする。そして春節(jié)などで親戚が集まったときは、孫の話で盛り上がる。ただ、孫が自分の手から離れたとき、何に生きがいを見(jiàn)出すかという問(wèn)題はあるが、高齢者に孫の世話を頼んでいるときは、高齢者と若者の両者は「ウィンウィン」の関係にある。
このことから、高齢者は中國(guó)の改革で不足している部分を擔(dān)っている存在であり、一部の「わがまま老人」を見(jiàn)て、敬老は不要だという考えは行き過(guò)ぎた考え方である。
■筆者プロフィール:吉田陽(yáng)介
1976年7月1日生まれ。福井県出身。2001年に福井県立大學(xué)大學(xué)院卒業(yè)後、北京に渡り、中國(guó)人民大學(xué)で中國(guó)語(yǔ)を一年學(xué)習(xí)。2002年から2006年まで同學(xué)國(guó)際関係學(xué)院博士課程で學(xué)ぶ。卒業(yè)後、日本語(yǔ)教師として北京の大學(xué)や語(yǔ)學(xué)學(xué)校で教鞭をとり、2012年から2019年まで中國(guó)共産黨の翻訳機(jī)関である中央編訳局で黨の指導(dǎo)者の著作などの翻訳に従事する。2019年9月より、フリーライターとして活動(dòng)。主に中國(guó)の政治や社會(huì)、中國(guó)人の習(xí)慣などについての評(píng)論を発表。代表作に「中國(guó)の『代行サービス』仰天事情、ゴミ分別?肥満?彼女追っかけまで代行?」、「中國(guó)でも『おひとりさま消費(fèi)』が過(guò)熱、若者が“愛(ài)”を信じなくなった理由」などがある。
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