Record China 2019年1月30日(水) 14時(shí)10分
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29日、観察者網(wǎng)は、スパイ活動(dòng)を行ったとして20年近く服役していた臺(tái)灣人スパイの楊銘中氏が、釈放され臺(tái)灣へ戻ったと伝えた。
2019年1月29日、臺(tái)灣?中國(guó)時(shí)報(bào)(電子版)は、スパイ活動(dòng)を行ったとして20年近く服役していた臺(tái)灣人スパイの楊銘中(ヤン?ミンジョン)氏が、釈放され臺(tái)灣へ戻ったと伝えた。
記事によると、楊氏はかつて臺(tái)灣の「警備総部」の士官で、當(dāng)時(shí)の中正空港に派遣されて駐在していたが、法を犯して有罪となり服役。服役中に「國(guó)防部軍軍事情報(bào)局」の汪希苓(ワン?シーリン)局長(zhǎng)、陳虎門(チェン?フーメン)副所長(zhǎng)らと知り合い、出所後に軍事情報(bào)局6処を紹介され諜報(bào)員となったという。
その後、軍事情報(bào)局は中國(guó)軍の劉連昆(リウ?リエンクン)少將(當(dāng)時(shí))と邵正忠(シャオ?ジェンジョン)大佐(當(dāng)時(shí))から情報(bào)を得ることを畫策。楊氏は劉少將の連絡(luò)係となったという。1992年から99年までの間に劉少將が流した情報(bào)の中で、93年の軍委員會(huì)會(huì)議の內(nèi)容と96年の臺(tái)灣海峽軍事演習(xí)に関する情報(bào)が最も重要でナイーブな情報(bào)だったという。
記事によると、臺(tái)灣海峽危機(jī)の後、中國(guó)側(cè)は李登輝(リー?デンホイ)総統(tǒng)(當(dāng)時(shí))の話の內(nèi)容から、情報(bào)が漏洩している可能性に気が付いた。その後の調(diào)査で99年に劉少將と邵大佐を逮捕。連絡(luò)係だった楊氏と姚嘉珍(ヤオ?ジャージェン)氏も逮捕された。
劉少將はその後、軍事裁判で有罪となり死刑を言い渡され、99年8月に刑が執(zhí)行された。臺(tái)灣の軍事情報(bào)局6処の●家鈞(●はまだれに龍、パン?ジャージュン)処長(zhǎng)は、最初の6年間で劉少將が軍事情報(bào)局から得た報(bào)酬は、合計(jì)2500萬臺(tái)灣ドル(約9000萬円)前後だったと回想している。
楊氏については、最初は死刑判決となったが、その後2年の執(zhí)行猶予付き死刑判決に変更され、さらに無期懲役、懲役20年と減刑され、數(shù)カ月の減刑も加わって今年1月に刑期を満了して釈放された。臺(tái)灣の軍事情報(bào)局は「捕虜の交換」を希望していたが中國(guó)側(cè)が応じなかったため、刑期を満了してからの釈放となったという。
記事は楊氏について、「姚氏と並び、中國(guó)で最も長(zhǎng)く服役した臺(tái)灣人スパイ」になったと紹介。姚氏も楊氏同様、最初は死刑判決となったが後に懲役20年に減刑され、昨年刑期を満了して釈放されていた。
記事は、「これまで臺(tái)灣人スパイが中國(guó)で逮捕される2回の大きな波があった」と伝えている。1回目は96年の臺(tái)灣海峽危機(jī)の時(shí)で、この時(shí)は軍事関係者が多く逮捕された。2回目は2003年で、陳水扁(チェン?シュイビエン)元総統(tǒng)が、中國(guó)沿岸部に配置されている巡航ミサイルの數(shù)と位置を明らかにした後、30人以上の臺(tái)灣人スパイが逮捕され、少なくとも17人が10年以上の懲役刑となったという。(翻訳?編集/山中)
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